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2020.07.26ブログ

雅楽演奏家・講師 山口創一郎とは?

こんにちは。山口です。

 

今日は自分語りの記事。

 

たまにはこんな記事書くのもいいかなーと思い、ちょっと自分が

 

どんな人間かをここで語っちゃいたいと思います。

 

というのも、プロフィールって堅苦しくなっちゃいますよね??笑

 

今日はもっとフランクに!「雅楽って面白い!楽しい!を伝える」人間がどんなやるなのか??記事にしていきたいと思います。

 

恐らく山口創一郎がどんな人間かがわかるかと思うので、

是非興味あるという方だけみていただければ幸いです。

 



1,幼少期から小学生時代

2,中学生から高校生時代

3,大学生から法人勤務時

4,大阪帰還~今

 

それでははなしていきましょう!




 

1,幼少期~小学校時代


 

 

幼少期のことなんて、まあ覚えてないですよね?笑

 

僕は奈良県天理市の病院で生まれたんですが、生まれたときの体重が・・・

 

4039G!?

 

ほぼ4kgあったくそでかい子どもだったそうです。

 

小学生

このときから図体だけでかいクソガキだったんですね。ははは

 

昔は発達・成長が遅かったので養護施設にも通ってたみたいです。

子どもの頃は超がつくほど泣き虫でした。

 

5人兄弟の4番目。

 

後は姉が3人、妹が1人。

 

女兄弟ですね。

 

姉貴や妹の影響で少女漫画とか大好きでしたね。

 

ミルモでポン!とかは大好きでちゃおを買った姉のやつを

 

常に確認していました。笑

カードキャプターさくらなんかも見てましたね。

 

後はマニキュアもあそびでよく爪につけていました。

 

そしてクソ頻尿でした。

 

小学校の授業が45分トイレがもつかもたないか、そんな奴でしたね。

 

小学校の卒業式の予行とか、トイレが我慢できなさすぎて、リハの最中にもじもじ

 

しまくっていた。そんな小学生だったことを今でも覚えています。

 

それ以外はまあ普通の小学生。

遊戯王カードやポケモン、ベイブレードやスマブラ

 

なんかはもう大好きでしたね。

友だちとよく遊んでた記憶が懐かしいものです。

 

ポケモンは大好きすぎて、

小学生の時にぽけもんのHPを自分で作っていました。

 

結構これがめっちゃ楽しく、

お絵かき掲示板やポケモンの攻略情報、WWAゲームなどを

 

作って一時はアクセスもポケモンのジャンルの中では

上位の方にいったんじゃないかな?

 

雅楽との出会いは小学四年生から。

 

山口の実家というのは宗教施設であり、

 

その宗教は祭儀として雅楽を用いるのですが

 

父親が継ぐという儀式をする際に、

子どもたち全員に雅楽を吹いてもらいたいという

 

母親の思いから、兄弟全員で祭典で吹いたのが始まりでした。

 

当時は篳篥。

 

奈良県で開催された

 

毎週土曜にある練習会に片道1時間半かけて習いに行ったり、

 

宗教内の行事なんかでも勉強しました。

 




2,中学時代~高校時代




頻尿はいつのまに治り、剣道部に入部。

 

が、幽霊部員でした。笑

中学二年生に市長杯で二週間練習せずに

出場したらなぜか3位になった謎がありました。

 

普段1回戦で負ける凡人だったのに・・・

 

この当時は、勉強をまったくしないバカでした。

 

ネットーゲームにドはまりしました。

 

テイルズウィーバーというパソコンのオンラインゲームを46時中やっていました。



もうほぼひきこもりに近かった野郎です。

 

今とはちがって髪型も服装もチョー「オタク」オーラ満載だったのを

 

覚えています。

 

成人式の時に5年ぶりに同級生と会ったときは100%の人にびっくりされて

 

みんな言葉が出ないようでした。笑

 

雅楽はなぜか奇跡的にやっていました。

 

毎週土曜の練習だけはゲームをやめて練習に行った記憶があります。

 

中学3年の時に一時的に笙に転換。

 

というのも、最初は本当は笙をやりたかったのですが、

 

「篳篥」という名前を「笙」だと勘違いしていました・・・笑

 

しかし、

勉強しなさすぎて学力がなさすぎて、

行ける高校がありませんでした・・・笑

 

四六時中ネットゲームしかやってなかったですから・・・

 

そこで、当時志望校の高校の中に雅楽の実技で

入学できるコースがありました。

 

要は部活特進コースのようなもので、

 

学力がなくても、

部活動で成績を収める能力があれば入学できる制度で、

 

その当時は姉も雅楽専攻で入っていたことから、

そこを受験することを決意しました。

 

当時はとりあえずネットーゲーム中毒を治さないといけないなと

自分でも自覚してたのか、

 

寮生活をすることを決めました。

 

そして無事受験で筆記試験と篳篥を演奏して合格。

 

晴れて寮生活が始まるわけです。

 

が、ここからが地獄の始まりでした。笑

 

その高校の男子寮というのは、

入って一週間の間に「規律訓練」という

 

寮の規律を守る上での訓練をするのですが、

 

まあひとことで言うと、

「軍隊」のようなことをいきなりさせられるわけです。



毎回大声であいさつしたり、急に走らされたりとか、

 

寮歌という悪魔のような歌を音程関係なく叫ばされたり

 

どういう選択をしても叱られ続ける・・・

 

まあ今思えばひどかったものです。

 

その時は精神的に追い詰められて、

もう実家に帰りたくて仕方なかったのを覚えています。

 

その際に喉を破壊して、今のようなドス低い声が完成しました。笑

 

先輩に挨拶しなかったら怒られるは、上下関係はひどいもので、

 

真っ暗な部屋で後輩1人で先輩数名で説教やいじめみたいなことをする

 

「ヤミミ」というものもあるなど、

 

まあ今やったらアウトなことが

 

普通に行われていました。

 

寮には人間性を疑う奴も多ければ、幹事とよばれる生徒の監視役的なのも

 

人的にいかれた人も結構多かったので、

 

最初の1年はマジで地獄かよ・・・っていう感じでしたね。笑

 

まあ宗教系の学校の寮ってことで、

特殊なところもまあ多いですよね。

 

携帯電話も持ち込み禁止で、

何回も取りあげられて叱られたことも多かったですね。

 

学校は学校で、僕は雅楽専攻だったのですが、

 

クラスメイトは吹奏楽部・野球部・ラグビー部・ホッケー部・・・

 

その中で雅楽専攻は男女1人ずつ。

もう生きた心地しない三年間でした・・・ははは

 

吹奏楽部も1人だけで他はスポーツ部・・・

まあいじられまくったことを覚えていますね。

 

個人的には高校は自分の暗黒時代といっていいでしょう。笑

 

その中でも部活動が一番好きでしたね。

 

それまでは雅楽はなんとなしでやっていたところが強かったですが

 

高校はいってから舞楽もするようになってからは

 

練習するのはめっちゃ楽しかったですね。

 

特待みたいなポジションだったので、

演奏面も先輩から干渉されることも

 

ほとんどなかったので、好きにやっていたのを結構いまでも覚えています。

 

篳篥は大学雅楽部の現役学生の人から習い、六調子と舞楽曲をある程度

 

習うことができました。

 

が、リード作りができる気がせず・・・

 

引退してからは龍笛ばっかり練習してました。笑

 

その頃の自分というのは、部活は好きだったけど、

 

大学で雅楽を本気でやろうという気はありませんでした。

 

というのも、1年の時に来ていた先生は心底尊敬をして

 

雅楽をやってましたが、

 

年が変わるごとに年齢が近くなったはずだけど、

 

やはり大学生と高校生の壁的なものがあったのか

 

四年間大学生活の他を偽性にしてまで雅楽に没頭する

魅力が全然わからなかったのを

 

今でも覚えています。

 

まあそれでも、部活ではパートリーダーもやりましたし、

 

演奏会や県の総合文化祭などのイベントでも

主管(音頭)などもしたりと

色々と経験させてもらえました。



そんなこんなで特に進路でやりたいこともなかったですし、

 

親からは宗教施設の後継者だからという理由で

 

宗教系大学に指定校推薦で受験し合格しました。

 

今思えば、まともな受験勉強をしたことがないですね。笑

 

高校は部活特進のクラスだったおかげで、

 

回りが頭が悪いメンバーばっかりだった

 

環境だったせいか、

 

学校の成績がよかったおかげで校内で2番目で

 

合格することができたんですね。

 

ただ、3年になっても寮生活が楽しかったかといえばそうでもなく

 

まあ僕は当時も今もコミュニケーション障害並に

人と関わるのめっちゃ苦手なんで

 

同級生の絡みが非常に苦手というのもあったのですが

 

高校の寮生活の縛りに耐えられず、

 

もう大学は寮生活は絶対やりたくない!

 

と思い大阪の自宅から大学に通うことを決めました。

 




大学、法人勤務時代




1番チャラかった時代。笑

大学時代は片道2時間かけて大学に通う生活が始まりました!

 

この当時大学は順風満帆な生活が送れる!そう思って入学し、

 

まあ普通に大学にはそんなに仲良いわけでない、

 

よくいじってきた高校の同級生とかも多かったんですが

 

大学はそんなに、授業とかでも遭遇することもなかったので

 

かなり気楽にやっていた気がします。

 

雅楽はやりたかったので、

最初は大学内に雅楽のサークル作ってやろうかと

 

思いましたが部の方が黙っているわけないか・・・と思いながら

 

仕方なく、雅楽部に龍笛で入りましたが、学生のサークルや

 

バイトもする状況でとてもじゃないけどできないなと思い

 

1年の夏に退部。

 

まあ上下関係や組織の仕組み、

 

OBや飲み会とかのめんどくささにうんざりしてたのが

めっちゃ強かったのもありますね。

 

当時流行していたSNSにちょーぜつ悪口書きまくった記憶が蘇りますね。笑

 

それ以降の大学時代で雅楽に関わるのは地元の小学校の演奏などの

 

年に2,3回すればいい方でした。

 

一番雅楽に関わらなかった時は「大学」だったり・・・

 

部活はしんどかったし、学生のサークルも

 

人とのコミュニケーションが苦手で

 

輪に入るのができなかった時期もあり、

 

その中でも必死に全部がんばってきてたのですが、

 

部活辞めた瞬間に緊張の糸が切れ、

 

しばらくはかなりやんでました。

 

もう何もかも投げ出したかった時期でした。

 

この頃の山口はチョーネガティブ人間だったので、

 

自己肯定感なさすぎて自殺とかも頭に何回もよぎりましたし

 

寂しさの余り、出会い系サイトのサクラに引っかかったことも

ありました。笑

 

かなり少額ですけどね。○千円くらい?

 

ただ今だからいえますが、

これは誰にも言ったことがない過去です。笑

 

そのせいか周りの人が全然信用できず、

 

人の悪いところばっかり見てましたし

 

言葉遣いも酷かった時期でした。。ははは

 

今思えばというより、今でもろくでない人間だったり・・・笑

 

 

人に言わなさすぎたのもありますが、

そんなことも普通にありましたね。

 

その後は当時付き合っていた彼女とか、

周りにいた人たちのおかげで

 

何とか大学も、学生のサークル活動も続けることができました。

 

その彼女とは僕が後々、学生のサークル活動に没頭しすぎた結果、

 

そっぽ向かれちゃいました。

 

自業自得ですね。ははは

 

それでもめちゃめちゃ楽しかったことには変わりないですけど。

 

その学生サークルというのは、3回生以降行くことが制限されて、

 

4回生の時、1年間卒論だけだとどうも

動き足りなかったときに

何をしようと考えたときに、

 

「雅楽、もう一回したい!」

 

とふと思うようになったんですね。

 

そこで、当時の雅楽部の顧問の先生に相談し、

その後同級生の仲介もあり

 

「4回生で雅楽部に復帰する」

 

という珍事を起こしてしまいました。

 

前例はあったものの、多分卒業後雅楽を携わっているのは僕くらいしかいないんじゃないかな?

 

その頃の雅楽部は部員不足もあったので、

 

そこまでああだこーだ言われることは少なかったですが、

 

今も多分、「あいつは4回生入部だからなー」

とか言っている人もまあいるでしょう。

 

なんし下積みの部分をすっ飛ばして部活に戻るわけですから、

 

当時の四年間やるが正義のOBからはひんしゅくモノだったでしょう。

 

4回生に戻ってからは雅楽漬け。

 

部室に寝泊まりして練習しまくったし、

 

当時いきなり依頼演奏で羯鼓を抜擢されたり、

 

謡物の句頭(ソロ)に抜擢されたりして、

 

夜通しずっと練習していた記憶があります。

 

が、途中から自分が卒業するまで

 

羯鼓と三の鼓しかあたらないなと察しだした頃からは

 

管別練習の日にわざとバイトを入れて、

 

空いた時間に実家で龍笛の練習ばっかりやっていたこともあります。笑

 

いや、ダメじゃん!と思うかも知れませんが

 

依頼前の合奏にはちゃんといって

 

管別とかで叩くのが無駄だなーと思ったりしていましたからね。

 

夜遅くに全体練習やるのは絶対いやだったので、

 

終電を一時間早く偽ったり、大学を自宅から通っていることをいいことに

 

自分の練習時間を確保できるように

 

部活と距離をとってやっていたのも今では良い思い出です。

 

後輩にはまあばれていたでしょうが・・・

 

要は学生時代からチョー不真面目でした。

 

卒業後は宗教団体から奨学金(扶育という)の返還の関係で、

 

2年間宗教法人に勤務したら免除になる制度を利用する関係で、

 

とある宗教法人で勤務しました。

 



 

余談ですが、その宗教団体の家系ってややこしいことが多く、

 

自分の施設の上に大きな施設あって、

 

その施設長というその宗教団体ではまあえらい人に

 

次の進路の面談とかしないといけないんですよね。

 

その時に山口はめっちゃ不真面目な奴だったので、

宗教法人勤務に志願した理由を率直に

 

「雅楽をしたいから法人勤務します!」

 

てストレートに言って怒られた記憶があります。ははは

宗教団体で働く志というのが微塵もなかったことで怒られました。

 

その後、その施設長から、別の法人の勤務の

命じられたりしたんですが、

 

 

宗教団体の人間からすれば、その施設長というポジションの人から

 

言われたことは絶対!素直に受けましょう!という決まり文句があるのですが、

 

山口は多分こういいましたね。

 

「その勤務先は勤務時間と休みが不規則で、雅楽できる時間が減るのでお断りします。」

 

普通にその宗教を熱心にされている方からすれば、

 

山口ってホンマにロクでない奴だなーと思うかと思います。

 

ていうか多分思われていたでしょうね。

 

他の宗教関係者の人からは

今でも「変な奴」と思われているでしょうし。

 

だっていやでしょ。先祖がどうであったとか、

 

普段あんまり仲いいわけでもなくて、

 

個人的に恩があるわけでもない人の命令を鵜呑みできるほど

 

僕は優しくはありませんから。

 

結局卒業後、山口は法人の不動産を担当する部署に

 

配属されることになりました。

 

勤務時間は大体8:30~16:30

 

休みは日祝のみ。大体月5日あれば良い方で

 

冬になれば16:00が定時という素晴らしい労働状況。

 

ちなみにこの時の給料は・・・

 

 

月額2万円!

 

え? まじで!?

 

まじです!

 

最初の2年間はなんと月給2万円で生活していました。ははは

 

その代わり、国民健康保険や年金・食住は保証されていたので、

 

お小遣い2万円で生活してね!的な感じでしたね。

 

まあ2万円だと当時携帯代で半分消える人が多かったですね。

 

残りは交際費とかでまあ消えていくわけですが・・・

 

山口はこれに雅楽の演奏とかで月によっては

それ以上にもらっていましたが、

 

まあそんないい生活といえばそうでもないですが、

 

2年間我慢すれば奨学金という借金がなくなるので

 

なんも気にしてませんでした。

 

そっちよりも、朝早く起きて雅楽の練習もでき、

 

勤務の昼休みも近くの練習場で練習ができる環境があるのが

 

幸せでした。

 

大学時代は羯鼓や三の鼓と謡物ばっかりやっていたおかげで

 

まともにやっていない龍笛の練習ができて、

この間で上手くなることができれば

 

と思って練習に励んでいたのを今でも覚えています。

 

そして16時半になると、「お疲れ様です」といって真っ先に帰るという

 

完全に「私、定時で帰ります」状態を貫いていましたね。笑

 

終わって練習したり、筋トレしたり、

 

後は寮生活になるのですが、

高校のトキとはちがって

女性を連れ込んだら退寮になる以外は

ほぼ自由だったので、

 

ご飯も知り合いがいたら一緒に話しながら食べられるし、

 

結構楽しかった記憶が大きいですね。

 



何しこの2年間で龍笛はかなり上達できたと

自分でも思うくらい

 

年に1回楽部の先生の講習もあれば、演奏会も出演でき、

 

それ以外に講師や依頼演奏などにも

携わることができた2年間でした。

 

とはいえ、本来は2年で辞めるつもりだったのですが、

色々家庭の事情もあり、

 

4年続けることになりました。

3年目以降給料最低賃金くらいはあったのかな?

 

でも年収で言うと150万円以下ってとこですかね?

 

朝の奉仕作業をサボりすぎて給料2万のままになりかけたり、

寮の当番をうっかりサボって退寮になりかけたりもしました。笑

 

年がたつごとに自分の立場も変わり、

 

特に3年目を超えてきた頃から「私、定時で帰りません」になり、

 

2年目からは月1のペースで宿直という

勤務後の時間を約14時間奪われ、

手当1000円しかでないというブラック勤務があり

 

雅楽もしづらくなる環境が徐々に強くなってきて

 

何より部署のこと以外の必要のない仕事が急激に増えて心を失って

 

忙殺しそうになりかけたので

 

途中で、「ここにいる意味ないな」「よし、やめよう!」

 

決意して4年目でようやくやめました。

 

辞めるときに上司から「考えろ!」と言われたんですが、

 

当時部署的には自分がいなくなると経験者がいなくなって、

 

多分普通なら辞めたくても辞めれないポジションでしたが

 

「いやいや、考えた結果ですよ」て

周りの人に協力してもらって

辞めたのがなつかしいですね。

 

正直いたところで、

自分のメリットになることが何一つなかったので

 

退職を決めました。




4,大阪帰還~現在まで




 

気がつけばビジネスホテルの夜勤で働き、

昼夜逆転生活が始まっていました。

 

朝の7時に家に帰り、昼の3時頃に起きて、

夜の9時半前に出勤する

 

という超不規則生活を堪能していました。

 

そして、大阪に帰還してからはまあ、雅楽難民になりました。

 

ははは。

 

ぜーんぜん演奏なし。

練習は毎日していましたが・・・

演奏機会などがほとんどありませんでした。



休みの日は大原櫻子さんのライブに行くのが楽しみでした。笑

 

もうやる機会がなさすぎて

色んな団体調べましたよ。

 

とある団体のことを調べましたがまあ団体入ったらイチからになるし

 

知らない人等に教わってもうまくいかないなと思ったんで

 

結局大阪から通って奈良へ練習にいってました。

 

法人勤務の頃から母校の指導は行っていたので、

合奏や指導感覚を更につけたかったので、

空いているときに無料で指導をしていました。

 



これのおかげで学生という難しい時期の子らを

指導することで

 

いかに指導する重要性を学べたのは大きいです。

 

僕からすれば、「雅楽の教育実習」をやる形

をとれてラッキーでした。

 

+、やっぱり高校時代、

母校にはめちゃめちゃお世話になっていますからね。

 

それ以外にも色んな練習に顔出してやりましたが、

 

やはりレベルが全然合わない問題。

 

奈良に泊まる日は大学時代の顧問の先生の家に

お邪魔して練習をして、

 

時間があるときは別の雅楽会の

講師でご一緒させていただくくらいでした。

 

そうこうしてるうちに、ふと大学の頃雅楽のサークルを

 

作りたいことをおもいだしたんですよね?

 

高校卒業メンバーで雅楽辞めた子や、法人勤務とかで

雅楽するところに困っている人、

 

多いんじゃないか?

 

リサーチして、やっぱりそんな感じだったので

 

それを解消するために

 

いろんな人に声をかけました。

 

当時法人勤務にいた知り合い、大学の同級生・後輩、

大学の部活辞めた学生や

 

辞める前に新人研修で担当した班員、

事情で活動休止した雅楽会でやっていた同級生など

 

たくさんの人に声をかけ、ある行事に出演することを目的に

 

毎週奈良の某所で練習をはじめました。

 

それが現在の「陽雅会」の始まりとなります。

(この時は別名でした。)



この団体を結成するあたりに山口に転機が2つありました。

 

先ず一つは、奈良でインバウンド事業として雅楽の演奏を企画する

 

とある株式会社が外国人観光客向けに、

雅楽の演奏やワークショップの事業化を

 

始めるという中で、

大学の同級生から、

演奏者登録をしてほしいと連絡がきました。

 

これにより今までなかった演奏機会が、

多くなったのを覚えています。



 

もう一つは同じ大阪で住んでいて、雅楽で生活をされている、

 

いわゆるプロの雅楽演奏家として活動している、

 

Iさんという方とSNS上で連絡をさせて頂いたんです。

 

そうこう連絡していると、同じ高校出身なんだとか。

 

難波で合奏会をしているとのことだったので、

すかさずお邪魔をして

練習を一緒にさせていただきました。

 

その後、合奏練習の後に飲みの席などで仲良くして頂き、

お話をしていく中で自分の雅楽の世界がどれだけ

狭かったかということを

痛感した気がします。

 

そこからIさんが主宰している演奏会はもちろんのこと、

 

数々の依頼演奏や、合奏会、講習会にもお邪魔させて頂くことが

 

できるようになりました。



 

Iさんの繋がりでMさんとも知り合うことができ、

 

その後は和歌山の神社関係の演奏にもお呼びがかかるようになり、

 

神戸の方の演奏も声がかかるようになってきました。

 

そうこうやっていたら、ホテルの夜勤できる状態ではなくなりました。

 

あの頃は最強に鬼畜生活をしていました。

 

夜勤→講師→3時頃帰宅で寝る→8時半起きる→9時半出勤

 

こんなんあって週5,6日夜勤で働いていたので、

 

今思えば良くやっていたなー自分と思えるほどです。

 

これで10月に連休2回とって

 

兵庫県や香川県の出張演奏をしていたと考えるとぞっとする・・・笑

 

とにかく睡眠時間が全然足りなくて、

夜勤中寝落ちしまくっていた状態で、

 

ホテルのオーナーにもチョー怒られました。笑

 

多分今続けたら過労で倒れているんじゃないかな?ははは

 

ちなみに夜勤をやっている頃は、

年間50回以上の金縛りに襲われた記憶があります。笑

 

もう起きたら体が動かなくて、

誰かに踏まれている感覚がずっと残り、

 

ホテル辞めて大学の海外公演でメキシコに連れて行って頂き、

 

一週間滞在しましたが、後遺症で金縛りに何回も襲われました。

 

その後、初めての自主公演の開催もできるようになり、



メンバーもやっていく毎に入れ替わり・立ち替わりもあるなかで

 

山口はバイトと演奏家の二足の草鞋をすることになるわけです。

パチパチー

 

て何の話しやねん!笑

 

そしてこの間に篳篥を復帰。

 

元々リハビリも兼ねて様々な練習会でも吹き鳴らしていき、

 

冬に元宮内庁の篳篥の先生に手直しをしてもらい、

 

年明けから篳篥の演奏者としても活動を始めました。

 

そして昨年は演奏ラッシュがくるわけです。

 

なんし毎週月曜は、奈良のホテル「セトレならまち」

 

で毎週月曜日に演奏してほしいという依頼があったんですね。

 

セトレならまちでは毎週月曜に舞楽の蘭陵王他が演奏する事業が開始されたんですね。

 

月曜日は絶対に演奏の仕事がある状態になれば、それ以外にも平城旧跡の広場や



春日野国際フォーラム、奈良県立博物館



などの演奏もあり、

 

この依頼が増えるにつれ、笙奏者がいない問題に直面したため、

 

中学時代に習っていた笙を解禁。

 

姉貴が高校時代に笙だったので、帰ってきたときに習い、

 

他の練習会などでも笙を吹いて色々吹き方を経験者の方に聞いて

 

演奏できるレベルまでもっていき、マルチプレイヤーへと

 

変わってしまいました。



 

最初は龍笛しかする気なかったはずなんですが、

いつのまにか

 

全部吹けるようになっていたというね・・・

 

兵庫ではとある神社などで演奏機会もたくさんいただき、



 

京都、和歌山でも演奏機会をいただき



大阪のホテルや国際フォーラムでも出させて頂きました。

 

そんなこんなで、地元大阪狭山市でも、はじめてSAYAKAホールを使ってのコンサートを実施もさせていただきました。

 




その数、年間で150件。

 

数えて自分でもびびりました。

 

多分大学でちゃんとやっていてもせいぜい

演奏だけで年間70~80件。

 

それが昨年は150件というそんなに演奏の現場をこなしていたことに気付いたのです。

 

数えてびっくりでした。

 

もうスケジュールはパンパン。夜勤していた頃よりも

 

多分忙しかったかもしれないですね。

 

そんなこんな、今年入って3月にバイトを辞め

 

独立してフリーランスで活動していくことを1月の時点で決めていましたが・・・

 

まさかのコロナウィルス・・・でしたね。

 

まあわかりきっていたかもですが、

 

辞めるいうたの日本にそこまで

 

被害がなかった1月末だったので、まさかでした・・・

 

予定していた演奏も全部なくなれば、

 

お稽古も何件か消えたり

 

体験事業なんかもだめになりました。

 

まじかー!?

 

 

そこからどうしようか模索していく中ではじめたのが、「YouTube」

 



実は今年はいってから参入はしていたのですが、

その時はまだ唱歌と独奏を

 

あげるくらいしかなにもしていなかったんですね。

 

それだけで3月までに撮影をたくさんして100本とり、

準備運動を終えた形で4月からフルコミットをはじめました。

 

4月からはお話系も混ぜて、いや、ほとんどお話系で・・・

 

現在何とかこの雅楽というちょーニッチちゃんねるで

1800名(2021年7月時点)を超える方が

 

登録下さっています。いやー、ありがたいかぎりです。

 

現在は雅楽YouTuberなんか言われていますが・・・笑



 

とはいえ、雅楽演奏家・講師として独立してるからこそのやれることをやりたい!てところです。

 

昔のネガティブの自分があったから、今ここまで好きなことに

 

取り組めるんだなとつくづく思います。

 

これを書いている7月は演奏やお稽古の仕事もまだまだ戻っておらず、(2021年時点では徐々に回復??)

 

とはいえ、お稽古をお願いしてくださる皆さんや、

 

様々な方との出会いのおかげで、現在も細々とではある中で

 

お仕事をさせていただいております。

 

僕が人生の使命としてやっていること、

 

それは

 

「雅楽って面白い!楽しい!を伝える」

 

これを重きに活動をさせていただいております。

 

それは雅楽を全く知らない人はもちろんのこと、

 

今雅楽をしていて楽しいと思えていない人、

 

どんな方でもそれを伝えていくこと、これが自分の使命だと

 

思って活動をしております。

 

初心者・上級者、誰でもお稽古は見させて頂きます。

 

それなりに誰でもレベルを上げる手助けはさせていただけます。

 

雅楽の経験値など、

色んな面をみてもみなさんのレベルに見合った指導員をする

自信はありますので、是非お気軽にお声かければと思います。

 

長くなりましたが、本日はここまで!

     
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