2023.12.31これからの雅楽
抜けるからこそ見える道
雅楽演奏家・講師の山口創一郎です。
2023年もいよいよ終わりを迎えております。
今年は陽雅会としても、
雅楽演奏家・講師山口創一郎としても
非常に実りのある年でした。
1月からリーガロイヤルホテルでの依頼演奏
3月には西宮ガーデンズSakura Live
そして年末には奈良ロイヤルホテルでの依頼演奏など、
その他にも、5月に泉佐野市のお稚児行列での演奏依頼・
11月には京都の九頭竜大社・奈良ホテルでの演奏。
12月には奈良ロイヤルホテルでの依頼演奏を
依頼数も昨年の倍になったり、
8月・11月に開催した全集中!1日雅楽講習会にも
多くの方々が参加していただき、
このほかにも、さやま雅楽祭Ⅱなど、
おけいこががく・貴族たちシリーズの演奏会など、
昨年できなかったことを更に会としても
個人としてもできる1年になりました。
(周りの皆様のおかげです。ありがとうございます!)
そんなこんな、
独立して4年が経ち、
特にこの2年は自分の中でもこうなるとは
思ってもなかったことがたくさんありました。
一番大きかったのがやはり、
(実家にはちゃんと帰ってますよーww)
昨年10月から実家を出て
1人暮らしを始めました。
僕の実家は代々、T教という宗教を信じ、
僕自身も実家のT教の教会長後継者として、
家を継ぐことが決まっていた身でした。
(=実家を出るなんてことは、もうないと思っていました。)
しかし、独立する前というより、
そもそも自分自身は
T教の教理については特に否定も肯定も
するつもりもありませんが
T教団というものに
非常に違和感というものを感じていました。
特にT教の教団はピラミッド形式。
最近ネットワークビジネス等で問題となっている
「ねずみ講」形式の組織である故、
ある種の「ヤクザ」の構造に近く、
生まれた家で自分自身の人生が決まる
「世襲制(せしゅうせい)」
下の人間が上に勝つなどの「下剋上(げこくじょう)」というものが
できないのは愚か、
一生、上層部にお供え(献金)なり奉仕なり
し続けるシステムに嫌気がさし、
後継者になることをやめたいと打ち明け、
母が亡くなった数か月後、
実家を出て、完全にT教の家を継ぐことをやめる決心をしました。
(つまり、完全に雅楽演奏家・講師で活動していくことに。)
あれから1年が経つわけですが、
雅楽にしても同じことを思うのが、
というのが、僕はあるなーと思います。
この数年間、T教内や、
雅楽の界隈内しか知らなかった僕は
色んなところに顔を出し、
そして様々な人に会うことを中心に
時間を尽くしてきました。
お仕事でも、
自分が数年前関わることがなかったであろう人ばかり。
数年前には「ゆにわ」という、
古神道・日本的な考え方を発信するコミュニティで
今でもそこのメンバーに雅楽を教えさせていただいたり、
(むすび大学・神社ちゃんねるなどの出演はそちらからの依頼でした!)
↓↓↓
おけいこががくや教える生徒さんたちも、
もちろん宗教とは無縁の方ばかりで
陽雅会のメンバーですら、
宗教をしていないメンバーも増え、
依頼がくる方も経営者さんや、
個人で事業を展開している方など、
様々な方と関わる機会がお仕事上も多くなってきました。
プライベートも、
基本的にはそれ以外の人と会い、
世の中ってどうなっているんだろう??
そんな向上心が自分自身で大きく膨れ上がり、
大阪・難波の街に様々な場所へ遊びに出てみたり、
新たな人と出会って自分の視野を広げる上で
ネットワークビジネス民(事業家集団環境)が集う会合や、
イケてる男たちが集まる場所なんかにも参加してみたり、
(割とそういう場所に脱天理教民がいたのでおもろかったです。)
日本文化を大事にするコミュニティに顔を出したり
(むしろ上記のことを出入りしている雅楽講師はどこにもいないでしょうw)
今まで経験をしてこなかったことというのを
ひたすら経験をする数年を過ごさせていただきました。
その中でわかったこと。
「T教の外に出るからわかったこと」
「雅楽の外に出るからわかったこと」
この二つの観点が狭い界隈(かいわい)から抜けることによって、
見えてくることが多かったということです。
例えば、雅楽の中では
「先生の習った通りにする」
「基本的には鳳笙・篳篥・龍笛のどれかしかしてはいけない」
「会以外での活動は基本的にご法度」
「宮内庁式部職楽部が絶対!」
こういった教えというものが各雅楽団体であったり、
雅楽内の世界で暗黙のルールとして存在したりしますが、
これを誰が作ったかもわからなければ、
何でそんな理由なのか??
ということを答えられない人がほとんどだったりします。
みんな口をそろえていうのは
「先生がそう言っていたから」
ほとんどの人がこれしか言えず、
何故そうなったのかを調べようともしません。
何故そうなったのか??
一番の理由は、
宗教者の常套手段がこれだからです。
「上のいうことを聞いておけば安泰」
「上の人が言ったことをそのまま伝えれば、自分は責任をとらなくていいから」
この考え方が雅楽の中でも浸透したからです。
新しくできたとある雅楽の組織にいる役員をみれば明らかで、
ほとんどが神社庁・仏教・T教などの新興宗教
+に宮内庁の楽師の方々が存在する。
宗教団体の人間が雅楽団体というものを作った故、
特に明治~昭和以降に作られた雅楽内のルールになっていったわけですね。
(T教と雅楽内のルールや趣向がほぼ同じ)
これをするとどうなるか??
何も考えることができない人たちが量産されます。笑
でも考えなくてできるんだったら
AIに今後は取られちゃうし、
そんな人は必要なくなってしまいます。
個人的には宗教団体はもういらないにせよ、
日本人が持たなければいけないこと。
それが道徳・和・人格・雅さ
すなわち「心」の形成です。
特に雅楽は何故、奈良・平安時代から今まで伝承が続いたのか??
これは正直僕も謎でした。
しかし、ようやく、これが何故伝承されてきたのか??
何故、日本文化を大切にする団体などが
雅楽に目を向け始めたのか??
現代に必要なのか??
特に現代にはこの雅楽がもっている
「人格」の形成にはもってこいの音楽です。
若者が好きなのは「TikTok」などのショートムービーや
めちゃくちゃ早く、短い音楽。
(この間満員電車乗ったらほとんどこれしか見ていない人らしかいなくて絶望したw)
こういったものばかりを聞いているとどうなるか??
頭が悪くなり、短絡的な人格をもった大人が量産されます。笑
落ち着きがない子供が増えているのがめちゃくちゃいい証拠。
(そしてめちゃくちゃ危険ですw)
ゆったりした音楽、そして長い時間を楽しめ、
拍子が一定ではなく、ルールがない中で調和しようとする音楽。
そして各楽器(各人といってもいい)の人柄を特性を理解して演奏しないといけない。
その中にも日本特有の言霊につかさどる曲の意味。
雅楽を通して、人としての人格の形成。
これは、今の時代だからこそ、
絶対に必要不可欠になることは間違いない。
だからこそ、
雅楽を通して日本人が大切にしてきた「和」の精神
これを伝えていく意義があるなとつくづく思うばかりです。
別に雅楽は宗教音楽じゃなくてもいい。
(宗教が重要だというポジショントークをする必要はない)
ただ、神仏に捧げる音楽であることは
「越天楽(えてんらく)」という文字を見れば明らかであり、
この次に「五常楽(ごしょうらく)」をやるからこそ、
神仏に捧げる音楽をやる為には
道徳心・人格の形成が必要だということが
一発でわかります。
それによって人格・心を修養していく音楽。
それを楽しんで、深めていければいいですね。
来年も、そういった自分自身の「心」作りはもちろんのこと、
そうできる演奏やお稽古・体験事業ができたらと思う年末でしたとさ。
というわけで、皆様よいお年を~。
2023年もいよいよ終わりを迎えております。
今年は陽雅会としても、
雅楽演奏家・講師山口創一郎としても
非常に実りのある年でした。
1月からリーガロイヤルホテルでの依頼演奏
3月には西宮ガーデンズSakura Live
そして年末には奈良ロイヤルホテルでの依頼演奏など、
その他にも、5月に泉佐野市のお稚児行列での演奏依頼・
11月には京都の九頭竜大社・奈良ホテルでの演奏。
12月には奈良ロイヤルホテルでの依頼演奏を
依頼数も昨年の倍になったり、
8月・11月に開催した全集中!1日雅楽講習会にも
多くの方々が参加していただき、
このほかにも、さやま雅楽祭Ⅱなど、
おけいこががく・貴族たちシリーズの演奏会など、
昨年できなかったことを更に会としても
個人としてもできる1年になりました。
(周りの皆様のおかげです。ありがとうございます!)
そんなこんな、
独立して4年が経ち、
特にこの2年は自分の中でもこうなるとは
思ってもなかったことがたくさんありました。
一番大きかったのがやはり、
実家の宗教から離れ、1人暮らしを始める
(実家にはちゃんと帰ってますよーww)
昨年10月から実家を出て
1人暮らしを始めました。
僕の実家は代々、T教という宗教を信じ、
僕自身も実家のT教の教会長後継者として、
家を継ぐことが決まっていた身でした。
(=実家を出るなんてことは、もうないと思っていました。)
しかし、独立する前というより、
そもそも自分自身は
T教の教理については特に否定も肯定も
するつもりもありませんが
T教団というものに
非常に違和感というものを感じていました。
特にT教の教団はピラミッド形式。
最近ネットワークビジネス等で問題となっている
「ねずみ講」形式の組織である故、
ある種の「ヤクザ」の構造に近く、
生まれた家で自分自身の人生が決まる
「世襲制(せしゅうせい)」
下の人間が上に勝つなどの「下剋上(げこくじょう)」というものが
できないのは愚か、
一生、上層部にお供え(献金)なり奉仕なり
し続けるシステムに嫌気がさし、
後継者になることをやめたいと打ち明け、
母が亡くなった数か月後、
実家を出て、完全にT教の家を継ぐことをやめる決心をしました。
(つまり、完全に雅楽演奏家・講師で活動していくことに。)
あれから1年が経つわけですが、
雅楽にしても同じことを思うのが、
「抜けるからこそ見える道」
というのが、僕はあるなーと思います。
この数年間、T教内や、
雅楽の界隈内しか知らなかった僕は
色んなところに顔を出し、
そして様々な人に会うことを中心に
時間を尽くしてきました。
お仕事でも、
自分が数年前関わることがなかったであろう人ばかり。
数年前には「ゆにわ」という、
古神道・日本的な考え方を発信するコミュニティで
今でもそこのメンバーに雅楽を教えさせていただいたり、
(むすび大学・神社ちゃんねるなどの出演はそちらからの依頼でした!)
↓↓↓
おけいこががくや教える生徒さんたちも、
もちろん宗教とは無縁の方ばかりで
陽雅会のメンバーですら、
宗教をしていないメンバーも増え、
依頼がくる方も経営者さんや、
個人で事業を展開している方など、
様々な方と関わる機会がお仕事上も多くなってきました。
プライベートも、
基本的にはそれ以外の人と会い、
世の中ってどうなっているんだろう??
そんな向上心が自分自身で大きく膨れ上がり、
大阪・難波の街に様々な場所へ遊びに出てみたり、
新たな人と出会って自分の視野を広げる上で
ネットワークビジネス民(事業家集団環境)が集う会合や、
イケてる男たちが集まる場所なんかにも参加してみたり、
(割とそういう場所に脱天理教民がいたのでおもろかったです。)
日本文化を大事にするコミュニティに顔を出したり
(むしろ上記のことを出入りしている雅楽講師はどこにもいないでしょうw)
今まで経験をしてこなかったことというのを
ひたすら経験をする数年を過ごさせていただきました。
その中でわかったこと。
「T教の外に出るからわかったこと」
「雅楽の外に出るからわかったこと」
この二つの観点が狭い界隈(かいわい)から抜けることによって、
見えてくることが多かったということです。
例えば、雅楽の中では
「先生の習った通りにする」
「基本的には鳳笙・篳篥・龍笛のどれかしかしてはいけない」
「会以外での活動は基本的にご法度」
「宮内庁式部職楽部が絶対!」
こういった教えというものが各雅楽団体であったり、
雅楽内の世界で暗黙のルールとして存在したりしますが、
これを誰が作ったかもわからなければ、
何でそんな理由なのか??
ということを答えられない人がほとんどだったりします。
みんな口をそろえていうのは
「先生がそう言っていたから」
ほとんどの人がこれしか言えず、
何故そうなったのかを調べようともしません。
何故そうなったのか??
一番の理由は、
宗教者の常套手段がこれだからです。
「上のいうことを聞いておけば安泰」
「上の人が言ったことをそのまま伝えれば、自分は責任をとらなくていいから」
この考え方が雅楽の中でも浸透したからです。
新しくできたとある雅楽の組織にいる役員をみれば明らかで、
ほとんどが神社庁・仏教・T教などの新興宗教
+に宮内庁の楽師の方々が存在する。
宗教団体の人間が雅楽団体というものを作った故、
特に明治~昭和以降に作られた雅楽内のルールになっていったわけですね。
(T教と雅楽内のルールや趣向がほぼ同じ)
これをするとどうなるか??
何も考えることができない人たちが量産されます。笑
でも考えなくてできるんだったら
AIに今後は取られちゃうし、
そんな人は必要なくなってしまいます。
個人的には宗教団体はもういらないにせよ、
日本人が持たなければいけないこと。
それが道徳・和・人格・雅さ
すなわち「心」の形成です。
特に雅楽は何故、奈良・平安時代から今まで伝承が続いたのか??
これは正直僕も謎でした。
しかし、ようやく、これが何故伝承されてきたのか??
何故、日本文化を大切にする団体などが
雅楽に目を向け始めたのか??
現代に必要なのか??
特に現代にはこの雅楽がもっている
「人格」の形成にはもってこいの音楽です。
若者が好きなのは「TikTok」などのショートムービーや
めちゃくちゃ早く、短い音楽。
(この間満員電車乗ったらほとんどこれしか見ていない人らしかいなくて絶望したw)
こういったものばかりを聞いているとどうなるか??
頭が悪くなり、短絡的な人格をもった大人が量産されます。笑
落ち着きがない子供が増えているのがめちゃくちゃいい証拠。
(そしてめちゃくちゃ危険ですw)
ゆったりした音楽、そして長い時間を楽しめ、
拍子が一定ではなく、ルールがない中で調和しようとする音楽。
そして各楽器(各人といってもいい)の人柄を特性を理解して演奏しないといけない。
その中にも日本特有の言霊につかさどる曲の意味。
雅楽を通して、人としての人格の形成。
これは、今の時代だからこそ、
絶対に必要不可欠になることは間違いない。
だからこそ、
雅楽を通して日本人が大切にしてきた「和」の精神
これを伝えていく意義があるなとつくづく思うばかりです。
別に雅楽は宗教音楽じゃなくてもいい。
(宗教が重要だというポジショントークをする必要はない)
ただ、神仏に捧げる音楽であることは
「越天楽(えてんらく)」という文字を見れば明らかであり、
この次に「五常楽(ごしょうらく)」をやるからこそ、
神仏に捧げる音楽をやる為には
道徳心・人格の形成が必要だということが
一発でわかります。
それによって人格・心を修養していく音楽。
それを楽しんで、深めていければいいですね。
来年も、そういった自分自身の「心」作りはもちろんのこと、
そうできる演奏やお稽古・体験事業ができたらと思う年末でしたとさ。
というわけで、皆様よいお年を~。