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2020.11.13ブログ

「雅楽」みんな一緒の吹き方を強要する必要はない



こんにちは。山口です。

今日のお題は、みんな一緒の吹き方をする必要はないというお題で話していきたいと思います。

というのも、山口は昨年、今年にかけて、様々な方々と演奏活動をする中で、

一つすごく気になったことがあったんですね。

それは

どうも同じ団体同士でずっと雅楽をされている方の吹き方って、

同じ音にしか聞こえないときがあったりするんですね。

え?そりゃ同じ龍笛を吹いたら同じ音がなるんじゃないの?

って思う人もいますが、龍笛でも篳篥でも、

吹き手によって音が変わるのが当たり前なことなんですよね。

使っている楽器もちがえば、肺活量だってちがう。

吹き込みの仕方、息の入れ方、
全てがちがっていいもののはずなのに、

どうも団体の所属が同じところだったり、

教えている人が結構吹き方を強要するようなところだと

どうも吹き方が同じに聞こえて、

逆に気持ち悪くなることもあるくらい、

これはちょっと異常だなって僕は思ったりするんですね。

というわけで本日は、

みんな一緒の吹き方をする必要はないというお題で

お話をしていきたいと思います。

というわけで、本日もゆっくり聞いていただければと思います。

1, なんで「みんな一緒の吹き方」になってしまうのか?


まずはなんで「みんな一緒の吹き方」になってしまうのか?

ここについて解説をしていこうと思います。

これはねー、まあ平たく言えば「日本人の習性」、

これが大きく強く出てしまっているんですね。

一言でいうと「群れる」習性が強いといえばよいでしょうか?

日本というのは基本的に「民主主義」です。

なので回りの目を気にする人種でありますし、

回りとの協調性を保とうとする気持ちも強かったりするわけです。

ひとことでいえば「主体性がない」人がまあ8割くらいいるんじゃないかな?

僕は数えたこともないんで詳しくはわかりませんが、

大半というのはそういう人等がほとんどなんですね。

すごくいい例でいえば「学校」。

小学校や中学校では、縁もゆかりもないメンバー、

家が近いとか、地域、同じ場所に通っているという共通点だけで

学年・クラスというものに属したりするわけです。

その中で協調性を保つ教育をしてきたばかりに、

異端児、異質な人というのは疎外されやすい傾向が強かったりするわけです。

それがいじめにつながったり、不登校につながったりするわけですね。

もちろんいじめられる人が悪いわけではありません。

人は群れる組織になっていくだけ、

自分の正統化を図って回りに承認欲求を

示したくなる生き物なんです。

ちがうことをしている人を罵倒したくなる存在なんですね。

成績も何かが抜きん出てても褒められず、

全部平均的より上な人だけが重宝される

仕組みになっていたりもするわけですね。

これは雅楽の団体でやるときにも近しい感覚があるわけです。

同じ団体に属することになれば、

グループレッスンでそれぞれのレベルに相違があっても、

そのグループの中で抜きん出てる人あるいは、

低い人に合わせて練習をしていくことになりますし、

抜きん出てる人には講師の「嫉妬」などで「こいつは気に入らないからつぶしてやろう」とかそういう気持ちで接する人もたまにいたりするため、

本来よかったりするところをなくしていく、削いでいくことをする方もいたりするんですね。

「その吹き方はだめだ!」とか「これを直せないとお前はダメだな」

とか、こんな感じで言う人だっていたりするでしょう。

結果的に「クセ」という名目で芽をつぶしていった結果、

「みーんな同じ吹き方」をする特色がないメンバーが回りに揃ってしまう。

その人のよさ自体がなくなったりすることも多々あったりします。

まあこれは雅楽に限らず、日本的教育問題が大きいのかなと思うわけです。

「答えのある教育」を徹底した結果、雅楽にも答を求めていく結果として、

「宮内庁の先生」の言うことが絶対!であったり、

その団体のトップの言うことは絶対!

というような考え方ができ、

多くの人がそれ以上もそれ以下を考えるのをやめる、

言わば「思考停止」をした結果だと思えば一番わかりやすいかと思います。

それがいいか悪いかといったら正直難しいところですが・・・

じゃあなんで何十年も「みんな一緒」の考え方は浸透してきたのか?

ここに【年功序列】が入ってくるから更にそうなる仕組みにしているんですね。

一番こういうやり方を反発していく人材って誰かって考えたときに、

大体は「若年層」の人だったりするんですよね。

まあ僕もその1人なわけですが。

でもその若い人等に力を与えないことで、

そういう世界観から変えられないようにする

仕組みとなっている制度でもあり、

上の世代であるほど、

こういうやり方を反対することなんてもうできないわけですよ。

もう何十年も郷に従ってやっている方ですから、

一番活発に動ける若いときに芽をつまれ、

その勢いがどうしてももてない事実があります。

そんなこんなで、「みーんな一緒」という民主主義的な

感覚でやっていった結果、

未だに山口からすると

「同じ音にしか聞こえない」ような印象が団体にでているなと思うわけです。

2, それによって今どうなっているのか?


その中で吹き方が一緒の人等の集まりが増えてきていることで

今どうなっているのか?といえば、

「どの団体も、変わり映えが特になくなってきている」

一言でいえばこういう感じですかね?

最近雅楽団体もこの間授業でやりましたが

全国にはたくさんの雅楽団体があります。



 


関東や関西には紹介できないほどの雅楽団体が今あって、

どこもかしこも様々な活動をやっており、練習や演奏もすれば、

技術もどんどん上手くなってきているところも多くなりました。

が、僕はここで一つ疑問を言いたいのですが

「各団体の違いってどこにあるんでしょう?」

ここなんですね。

もちろん地域とかこの団体はこういう演奏する場所があるとか、

そういうところがちがうのはあるにしても、

演奏技術とかに相違はありても、

団体の違いってもう全然なかったりするんですよね。

InstagramやFacebookなどのSNSで見ていても、

実はどれも同じに見えてくる時がありまして、

共通して言えることは、まずどの写真も、

「年輩の方」しかいないという点。

もちろん、日本が少子高齢化なのはわかりますが、

ここまで年輩の人しかいないのは

どうしてなのか?すごく気になる所なんですね。

そして団体の話しを聞くと、大体共通した同じ話題が出てくるんですね。

「閉塞的」であったり、

「年輩の方による他団体の愚痴」だったり、

「協調性がない人に対しての愚痴」

なんか出して行ったら愚痴ばっかりですね。笑

つまり、団体の中が「みーんな一緒の吹き方」をしていくと、

団体までもが「みーんな同じこと」しかやらない人や

言わない人しかいなくなっていくんですね。

例えば、ここ最近では新型コロナウィルスの関係で演奏会ができなくなってしまったという状況下でやろうとしていることは、

どこもかしこも「配信」にうつってしまいました。

でも、配信についてはもうどこの団体もやりだしている、

準備をしだしている状況になってきました。

こういう流行物というのは、先行者が一番優位にたてる仕組みですので、

一番乗りをした団体以外はその中に埋もれてしまうことになりますね。

「あそこが配信したのか。じゃあうちもやろう」

とか、そこに主体性たるものというのが全くなくなってしまうんですね。

そこに良い悪いとか両方の意見あるかと思いますが、

演奏云々以外の部分でも「主体性」というものが欠けていってしまう。

そういう状態に今なりつつあるんですね。

ひとことで言えば「自分らで考える力」がなくなっていく。

これが個人に限らず、団体に生じてくることにより、

本来のいいところが見えてこなかったりする現状に今陥っているのかなと思ったりするんですね。

3, 「みんな一緒」ではなく、「自分が演奏したい雅楽を作っていくこと」が重要になる


さあ、ここまで吹き方を「みーんな一緒」でやっていった中、

 

団体までもが無意識に「みーんな一緒」の状態に現在なっていっている中、

 

今後重要になるのは「個人」が重要になるわけ、

 

ここを話していきたいと思います。

 

特にこの「新型コロナ」の影響が強いからこその部分も大きくあります。

 

集まって練習をすることができない。できてもオンライン、

 

でも団体でのオンラインでの合奏なんて、年輩の方が多い団体ではまあできない。

 

一つはやはり「みんな一緒」に合奏ができなくなった時期ができた

 

側面というのは非常に大きく出てきました。

 

これにより今後更に必要になってくるもの、

 

それこそが「みんな一緒にやらないスタイル」での雅楽です。

 

これまでは協調性こそが最強、団体で群れることによってできたことが、

 

これからは一人ひとりの個人プレー、

 

今まで出すのが善とされていなかった個性を出して行かないとだめになってきているわけですね。

 

前回やったジョブ型所属というものもその一つのやり方なわけですよね。

その上でも僕等が求めなければいけないことというのは、

 

これはね、言ったら怒られるかも知れない。でも言います。

 

「団体内でのみんなに好かれる演奏の仕方」から脱却することです

 

要は「誰かのコピー」的な教え方、

 

演奏の仕方であってはいけないといってもいいくらいですね。

 

ピアノや吹奏楽なんかで言えば、「コンクール式」の演奏方法をする、

 

譜面通りに忠実にひいてしまえば賞をとることができ、

 

そのきめ細かな譜面通りに演奏する人等が重宝されているわけですが、

 

これからはそういう人というのは、

 

単に「上手い」というだけでは他の人やモノに埋もれてしまい、

 

終わってしまうわけです。

 

別にコンクールで賞をとれる技術がなくても、

 

YouTuberとして吹奏楽やピアノなんかでも
業にできる人も増えてきました。


 

そういう型のはまった教え方や演奏の仕方は、

 

最悪今後はAI、人工知能が得意分野としている

 

部分でもあったりすることから、

 

そういった意味でも今後は

 

「個性」というものを出せる時代が到来する必要が大きくなってきているんですね。

 

芸術は爆発だ!で有名な岡本太郎さんの言葉の中に、


 
「芸術とはうまくあってはならない。キレイであってはならない。ここちよくあってはならない」

 

という言葉があるんですね。

これって僕等からしても、「え?じゃどうすればいいんだ」って本当に思わされる言葉ですけど、

最終的には、人に認められるという段階での演奏って、

その程度になるんだなーとも思うんですね。

その上で、やはり同じ龍笛や篳篥であったとしても、

十人十色の演奏をしていく必要があるなと思うわけです。

同じ音を出せばうまくてキレイで心地よく合うかと思いますが、

それ以上にならないなとも思うわけです。

僕等が今後雅楽をする上で必要なことは、

こういう側面が非常に重要になってくるんとも思うわけです。

ある程度の型をしっかりと習った上で

それをどう自分で考えて自分のものにしていくのか?

そういうことを深く考えていかないといけないなとも思うわけです。

という、なんかみんな一緒の音の話しをしたはずなのに、

話しが深くなってしまいました。

まあそれだけ、今後は雅楽というのも習っている人等にしても、

これからやろうとしている人にしても、

型にはまってやることというのは僕はオススメできません。

多種多様に、そして自分で善し悪しを主体的に

考えてやっていくスタンスというのを、

もっていただけたらなーと思い本日はそんな話しをさせていただきました。

というわけで本日のまとめです。
1, なんで「みんな一緒の吹き方」になってしまうのか?
キーポイントは「教育」からきています。その名残が雅楽団体にもきている
2, それによって今どうなっているのか?
団体や所属している人が全部同じに見えてしまう
3, 「みんな一緒」ではなく、「自分が演奏したい雅楽を作っていくこと」が重要になる
コロナショックでの団体が機能せず、個人の時代の到来。

それでは本日はここまで! ご静聴、ありがとうございました。

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