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2021.07.24ブログ

雅楽演奏家・講師という名の音楽家(フリーランス)になった経緯とは??



「雅楽って面白い!楽しい!を伝える」

こんにちは。雅楽演奏家・講師の山口創一郎です。

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狩衣姿で何故かいじっているのはパソコンなど機材!

そう!

本日のお題は、

「雅楽演奏家・講師という名の音楽家(フリーランス)になった経緯とは??」ということで、

おかげさまで音楽家でもあり、フリーランスではあるものの、

雅楽の演奏家・講師として独立をして活動をさせていただいております。

最近、同年代の方と関わる機会を増やしているのですが、その中でも

「雅楽ってなに??」

「そんな職業、あるんですか??」

「食べていけるんですか??」

という意見や質問などもあり、

まだまだ雅楽って全然一般的には全く認知されていない

と言うことをめちゃめちゃ痛感する日々で

そんなめちゃめちゃニッチな音楽で職業にするなんて、

オケやバンド・アーティスト・芸人とかみたいに

ポピュラーなことをやってても

食べていける人はごくわずかな中、

しかも学歴は芸大や音大であるわけでもなく、

住処・活動地域というのは本場の東京ではなく、

大阪市内でもなく、大阪府南部(河内・堺・泉州あたり)という若干

辺鄙(へんぴ)な場所

である中ですが

結論を言うとコロナ禍ということもあって

まだまだ発展途上なところはある中ですが、

昨年の1回目の緊急事態宣言の解除以降は雅楽だけで

生活をさせていただける形になってきました。

そんな中で、本日はどうやってフリーランスの雅楽演奏家・講師になって方法、

それをこのブログ上に書いていこうと思います。

あくまで僕は雅楽というものを伝えていくということを仕事にしているので、

ある種フリーランスというジャンルの中でも、音楽家というジャンルの中でも

かなり特殊な形で現在活動をさせていただいております。

しかも雅楽!フリーランスでそんなことを仕事にしようとしている人は

もちろん周りにもいなければ、同年代でもまあ聞いたことはありません。笑

そんなこんな、今日はどうやってフリーランス、

雅楽一本で生活ができる状態まで持っていくことができるのか??

そういう話をせっかくなのでこのブログ・noteでぶっちゃけていきたいと

思います。

伝統芸能やまだ仕事として確立されていない仕事を作っていく人の中でも、

参考になる部分もあるかとは思いますので、是非お読みいただければ幸いです。

今日は私の過去を振り返りながら、記事として作っていきます。

1、雅楽初め〜大学卒業


まずは少しだけ自分自身の紹介。

 

僕自身は雅楽は小学4年生から初め、

中学3年まで週に1回、毎週土曜日に1時間半の雅楽勉強会を受講していました。

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当時の演奏会出演の際の写真。

小学4年から中学2年まで篳篥を。中学3年時に鳳笙を習い始め、

高校は勉強ができなさすぎて当時天理高校に「雅楽」の実技で入れるコース、

「三類」と呼ばれるコースがあって、それで篳篥で受験して高校に入るという

ミラクルを起こしました。(学力的には入学できなかった)

今思えば本当にミラクルで、僕が卒業後何年後かにこのコースはなくなり、

卒業生が10人ほどいましたが、そのうち3人は山口の姉貴2人と僕、3割は兄弟という

ちまたでは「山口家のためにあったコース」とも呼ばれていました。笑

そんなこんな、高校では週5時間の授業で雅楽を

講師の先生(大学生)とマンツーマンで練習をする時間「特別講習」があり、

そこで篳篥の小曲と呼ばれる曲目は全て習熟しました。

部活動でも演奏機会なども恵まれ、

出張で愛知県まで演奏に行ったこともありましたし、

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年2回の定期公演なども経て卒業。

その後天理大学へ進学しますが、この時は雅楽熱は全くなく(笑)

というより上下関係など体質上ややこしいことが多かったので、1年の夏に退部。

楽器も篳篥ではなく、龍笛に転向するという破天荒な技にでました。

理由は、当時手先がとんでもなく不器用だった僕には、

篳篥の盧舌(リード)を作ることは無理!

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と判断して龍笛に転向しました。

その後、3年間は雅楽にはかかわらない学生生活を経て、

4回生の途中で部活を復帰。

理由は、3年間雅楽に携わらず、別のサークルのことをやっていく中で

自分自身にも雅楽以外のことでの自信がついていく中ではあったものの、

「自分にはこの道に戻るべきだ!」

と何故か思い、雅楽をやり直したいと思ったのがきっかけでした。

その後大学の顧問の先生や同級生を経て、複部が決定。

龍笛と羯鼓と太鼓など、

そして雅楽にある歌をここで習熟をさせていただきました。

この大学時代の話は今回ははしょりますが、機会があればお話しします。

2、法人勤務〜ホテル勤務


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当初部活に戻る以前、卒業後は一般企業に就職をすることを考えていましたが、

高校・大学ととある法人から奨学金を借りていて、それの返還の関係もあれば、

大学の部活動のOBの方から、

「山口は4年生から復部したんだから、是非大学付近で残ってまた
大学やOBの中で雅楽を習熟したらいいんじゃないかな?」


という言葉も当時とある尊敬していた師からお言葉をいただいたことから、

とある法人に4年間勤務しました。

最初は2年で辞めて、元々人材関係の仕事などに少々興味を持っていたことから、

大阪に帰って就職をしようかと考えていましたが、

実家の方の事情なども様々なことが重なり、

気がつけば4年も勤務していました。笑

4年間の中で、自分自身に足りなかった

雅楽の素養を身につけることはできましたし、

何よりこの期間に、教え方などを大きく学べたことも大きいでしょう。

実は小中学校時代に行っていた毎週土曜の雅楽講習会で

当時憧れていた講師という立場ですることができ、

母校である天理高校にも楽器の指導をする機会を

今もお呼びいただいているのも、

この法人勤務時代での賜物です。

とはいえ、雅楽という部分では充実はあったものの、

肝心な仕事の方は全く興味を見出せず、やらされている感がほとんどでした。

年数が上がるにつれて、難しい業務が増えていき、

ずっと定時で帰った自分がまさかの居残り残業・・・

そんな中で、心が死んでいく自分に危機感を覚えて

何も次の進路も決めずに、「勤務する目的がありませんので退職します」

と3月に退職を決めました。

上司からは「お前はもうしばらくやめられないぞー」

言われていた中でしたので、最初は考えろ!などと言われた中でしたが

最終的にはなんとか無事に退職することに。

その後、奈良から大阪に離れることで雅楽難民になるわけですが、

それでも、法人を退職した後から、「雅楽を仕事にする」ということを

周りには伝えていた自分がいました。

周りからは結構馬鹿にされていたとおもいます。笑

「そんなん仕事にできるんー??」とかよく言われました。

雅楽関係者の人には当時は口が裂けても

そんなことは口には出しませんでしたが、

雅楽と関連のない人らには毎度それを

口に出していたことを今でも覚えています。

そして志はあるものの、どうすればいいかわからない中、

気がつけばとあるビジネスホテルのフロントに立つ

仕事をすることになっていました。

とはいえ、夜勤専属だったので、昼夜逆転の生活が始まりました。

夜勤は週5、6日に8時間労働。

夜の22時から入って朝6時に終了し、帰宅して昼過ぎまで寝る生活。

1年間続けましたが、この間は雅楽関係からほぼ機会がなかったくらい

演奏やお稽古の仕事もほとんど持っていませんでした。

しかし、このビジネスホテルで夜勤を始めた頃くらいから、

自分の雅楽演奏家・講師の道というのは始まったと思ったほどです。

ある意味、「いいご縁・巡り合わせ」が到来してくることが三つあります。

まず一つは、自分自身も雅楽をする場所がなくなったことから、

週に1回ペースで雅楽をやっている知っている若手のメンバーを

集めて練習会を始め出します。

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この会で始めたのが現在の「陽雅会」という雅楽団体につながっていきます。

そしてもう一つ、

この時期から奈良県の方で雅楽の演奏事業の起業を始めた方がいました。

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大学の同級生から連絡をもらい、すかさず演奏者登録を行い、

演奏があれば連絡が来るという仕組みの元、

最初はただの演者として参加をさせていただいていましたが

最終的にはこの繋がりが、現在の「オケイコガガク」という、

奈良の三五夜で行っているお稽古事業につながったのは元より、


奈良の能楽堂などでの国際会議の演奏などにも携わるきっかけとなりました。

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そして雅楽の世界へと踏み込んだいくきっかけとなったのが、

とある雅楽会の主宰をされ、雅楽を仕事にしているという方でした。

いえば僕が目指している道を達成した方とお会いすることができたのです。

とはいえ、当時の山口は「雅楽を仕事に」とか言っていたくせに、

雅楽関係の知識は全くなく、

雅楽関係のことを飲みの席などでお話し下さったことで

知れたこともたくさんありました。

そしてツテでお呼びがかかる演奏も増えていきました。

この頃から、ホテルの休みの日や夜勤という性質
(夜中には雅楽練習は普通やりませんから)をフルに活用し、

参加できる演奏や練習は積極的に参加するようになりました。

「どこで雅楽の練習会やっているのか??」

「有志でやっている演奏現場があるのか??」

どんどん探して参加者の人と練習していき、

自分自身の実力の向上はもちろんのこと、ツテをどんどん広げていきました。

この活動も、後々別のツテを作っていき大きくなっていきます。

そして大学の海外公演にも同行したりして、海外で演奏経験もつけ

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ホテル勤務はあまりの多忙さに身体がついていかず、やめる事を決めました。

大体毎日4〜5時間睡眠での昼夜逆転生活。

ひどい時は夜勤明けに大阪から三重まで出張して

講師していたほどです。笑

3日参加する出張や旅行の為に2日休みを取って、

夜勤明けで参加して

行事終了後に夜勤に入るという本当にクレイジーな生活をしていました。笑
(今思えば3日休み取るべきだった。)

+、メキシコ公演で1週間も休むこともあったので、その数日前に退職を決意。

メキシコ公演後、これまで休みなく雅楽しながら仕事もやっていたので

1ヶ月は雅楽だけに専念して仕事はせず。

しかし、やはり仕事もそんな受け身な状況では入ってこないものなので、

翌月からバイトを始めることにします。

そう!某ペンギンのキャラクターで有名な店舗でレジ打ちを始めることになります。(有名すぎてどこかわかりますね。笑)

3、バイトと演奏の掛け持ち時代


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今まで社会保険も加入していて

給料的に見ても、

いわゆるサラリーマンと近いくらいの給料で仕事もやってきましたが、

ついに自分が「フリーター」まで格下げした時期こそ、この時期でしょう。

非常に周りの目が怖かった時期というのも、この時期だったかもしれません。笑

なんし当時28歳、そんな年齢でフリーターです!

てそれだけで自己肯定感が下がってしまうような気がしたので、

あまり周りには自分からおおっぴらに

言わないようにしていたことが懐かしいです。

恋愛なんてまあ、そんな状態ですから、まあできませんでしたねー。笑

世間体からすれば、底辺に等しい状況でしたから。

(今もそんな変わりませんが・・・笑)

ただそれ以上に、雅楽を本気で仕事にしていこうと

決心していくようになったのは

この頃からかもしれません。

バイトはじめた当初は給料なども働く量が圧倒的に少なくなったので

前職の2分の1以下までもらえる分が下がったので、

「これで本当に生きていけるのか??」

と思ったことを今でも覚えています。

しかし、そんな状況だったからこそ、

様々な演奏現場に恵んでいただけるきっかけにもなりました。

ホテル時代と終始変わらなかったのは、

「知っている演奏現場・練習会には報酬とか気にせず積極的に参加していくこと。」

これにフォーカスしました。

そしてこの頃から、元々龍笛だけで勝負していこうと考えていましたが、

演奏現場での篳篥と笙不足が際立って目立っていき、

篳篥と笙の奏者としても活動していくきっかけにもなりました。

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篳篥は小中高と習っていましたし、

ホテル勤務時代から

練習場所なんかでは龍笛ではレベルが合わない

多々あったことから、

場所によっては篳篥を練習でやることも多くなり、

「これ、いけるんじゃね??」

と思うことがあり、

元宮内庁の先生のマンツーマンの講習を受けて手直ししてもらい、

「篳篥がいないんやけど」

というタイミングで篳篥で出演させていただきました。

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そして笙も中学時代かじっていて、

たまに実家の演奏現場で吹くこともしていましたこともありましたし

天理高校の実技で笙をやっていた姉貴や、

練習会や合奏会・有志の演奏現場の時にも

笙を習熟されている先輩方と演奏をし、

わからないことをどんどん聞いていきとりあえず

演奏できるレベルまで持っていきました。

結果、笙・篳篥・龍笛の三管演奏できる奏者へとなっていくわけですが、
(雅楽ではそんな人は僕が知っている限りでも1、2名ほどです。笑)

周りの奏者の人たちにも驚かれました。

特に鳳笙は初めての現場で舞楽「蘭陵王」という曲を1人で吹かないと

いけなかったので

バイトと演奏がない合間の時間にひたすら死ぬ気で練習したことを覚えています。

そんなこんな、三管演奏できるようになって演奏現場等の

仕事は以下のように増やしていきました。

・雅楽の演奏事業で起業した会社の演奏に積極的に参加

・演奏事業会社と雇用契約を結ぶ

・とりあえず雅楽関係の知り合いを増やしていくために、
部外者でも参加できる練習会・合奏会に積極的に参加


・自分で団体を結成して、自主公演を年2回開催。

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・雅楽の奏者と所属や派閥を気にせずどういう方でも、年齢関係なく仲良くしておく

・ TABICAやジモティーというプラットフォームにお稽古や体験事業を掲示


・演奏終了後の打ち上げ・飲み会は基本的に顔を出す。

他にも色々あるとは思いますが、

上記のようなことをやっていくことにより、

そしてその年は天皇即位の奉祝の時期でもあったので、

年間で150件の演奏現場に携わらせていただきました。

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もちろん、全然人に見てもらえないようなところもたくさんありましたし、

今考えれば割りに合わない事業も多々ありましたが

これだけ笙・篳篥・龍笛の演奏現場に携わらせていただけたのは今思えば、

自分にとっては貴重な経験ができた1年間でした。

とはいえ、これだけ公演活動やお稽古・そして練習も

続けている中でバイトもしていましたが、

もう空いている時間を全てバイトに注ぎ込んだ、

そんな毎日を過ごしていました。

朝に演奏に出演して昼はバイトもあれば、

朝9時から14時までバイトして車で奈良に移動しながら昼食を食べ、

演奏の準備をして演奏し撤収。

家に帰るのが12時近くなんてことが日常茶飯事でした。笑

2020年に入った時期あたりから、

「バイトをする時間がもったいないな」

そう思い始めたことがありました。

「バイトって何のためにやっているんだろう??」

て自分で問いた時に、最終的に行き着いたのは

「生きる為のお金の為」

これでしかないなということに気づきました。

「自分の人生の使命は某ペンギンの有名な店舗でのレジを打つことか??」

「いや、違う!雅楽を仕事にしていくことだ!」

これだと気づき、

とりあえず食えないくらいやばくなったらもう一回バイトに戻ればいいじゃないか!

そう思い始めて思い切ってバイトを辞めることにしました。

辞める前から、自分自身の雅楽を仕事にしていく方法を考察していきました。

自分自身に所属しているところはなければ、ツテも少ない。

そして学歴もないに等しい。

自分が他の演奏者の方や上の年代に勝てる方法は何か??

三管を演奏できるはその界隈(かいわい)での話。

それ以外で自分の存在をアピールできるところはどこか??

そこでとあるビジネス系のYouTuberの方の動画を見たときに

「今はじめるんであれば間違いなくYouTube!」

その言葉を聞いたときに

「これだ!」

と思い、まずYouTubeで雅楽で上がっている動画をひたすら
リサーチしていきました。

どういう動画が上がっているのか??有名なチャンネルはあるか??

それを見ていく中で、まず見えてきたのが

「各楽器の唱歌と独奏」をアップしている人が少なかったこと。

いることはいるけど、技術的な問題があるところもあれば、

そもそも年輩の人が普通の服でやっているからそれと睨めっこしてやるのは

ちょっと厳しい。

このジャンルなら狙えるかもしれない・・・

ということで、バイトを辞める3ヶ月前から、
空いている時間にYouTube撮影をスタート!


毎日装束を身にまとい、最初は唱歌と独奏の動画を

ひたすら撮影していき、YouTubeへアップしていく毎日。






バイトを辞めた頃に登録者がようやく100人までいき、ここから本格的に。

あいにく、バイトを辞めた時というのは新型コロナウィルスの

緊急事態宣言が発令された時期だったことから

辞める前から演奏などの仕事がことごとくキャンセルになり、

窮地に陥っていましたが

その空いた時間を利用して、次の戦略を考えていきました。

毎日更新!そして色々と動画の企画なども行ったり、

現代曲を吹いてみたりなど、








雅楽の話系の動画をあげるなどなど、マニアックなことをやるにやり重ね、








気がつけば緊急事態宣言が解除されるまでに、

動画を200本近くは更新したことを覚えています。

この時の月収はお稽古が何件かしかなく

なんと3、4万円程度。

それでも0にはならないだけマシだったとはいえ、

貯金を崩しての生活をしていきました。

一応僕自身は実家暮らしではあるものの、

実家に帰ってきてから心がけていることとして

食費や光熱費云々を考えて毎月5万円以上は絶対に家に入れる!

ということを決めていましたので、

相手が親であれど、甘えずに

貯金を崩してでも、住ませていただいている限りは

お金を入れるということを働いていない時でさえも

入れるように心がけていました。

一人暮らしをしたらそんな安価では生活できないことは

言うまでもありませんが、

どんだけ窮地に立たされようが、これだけは守り通したい。

むしろ将来どうなるかわからないことばかりしている

バカ息子のやることを応援してくれる

親にはめちゃめちゃ感謝しています。(本当に)

そして動画を上げ続け、その動画の台本などを作ったものを、

ブログにも上げていくこともしていきました。


そうしていく中で、

YouTubeやブログを見てくださった方から

連絡が多く来るようになってきました。

TABICAを通して体験に来られたり、


webを通して、お稽古の申し込みをされるかたが徐々に増えていき、

知り合いの方からも、とある雅楽団体で講師をして欲しいという

連絡がきたり、

奈良の三五夜で開催している「オケイコガガク」も、

現在では7、8割の人がYouTubeを見て雅楽を始められた方が多くおられます。

そうこうしていくうちに、これまで演奏現場に頼って生活をしていたのが、

お稽古、生徒さんを増やしていくことで生計を立てられる状況というものが

できるようになってきました。

こうやって興味を持ってくださってお稽古を続けてくださる

生徒さんには毎度感謝ばかりです。

大阪南部という辺鄙な場所に、様々な方が足を運んでお稽古をされれば、

関東や九州、海外の方などにもオンラインレッスンを利用して

お稽古をつけさせていただくきっかけもいただけました。

Web自体は個人事業主になる前に何もわかっていない時にある種勢い的なもので、

かなり高額な値段で作ってしまいましたが・・・笑

それがこれ!


それでも、今は作っておいて損はなかったと思っています。

一つの自分の勉強料になりましたし。

お問い合わせフォーム・そしてLINE公式アカウントなども作成し、

そう言ったところからお問い合わせをいただいて

現在もお稽古をしてくださる方が多くおられます。

昨年の10月〜12月は例年あった演奏も復活し、

なんとか個人として雅楽一本で生活できる形へと変わっていきました。

5、現在の状況


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そして現在の状況に入っていくわけですが、

おかげさまで、2021年に入ってからは雅楽のお仕事だけで

生活をさせていただいています。

普段やっていることは

・雅楽の個人お稽古の講師(出張含む)

・グループレッスン講師(出張含む)

・オンラインレッスン

・TABICAでの雅楽体験

・出張での演奏

・ブログ執筆

・YouTube相談室毎週火曜・金曜21:00〜1時間ライブ開催

・演奏会企画・開催(チラシ作成など含む)

・自主練習

・Webサイト更新

・カフェにこもり事務作業

探し出したら結構ありますが、

まあそれでもある意味これはこれで毎日楽しい生活を

過ごさせていただいております。

収入面も、今年に入ってからはだいぶと安定してきており、

月によっての依頼量も違えば

緊急事態宣言などの影響もあって演奏は現状皆無(笑)に

等しい中とはいえ、

普通にホテルで働いていた時期の給料の前後までは

稼げるようにはなってきております。(まだまだですが・・・)

YouTubeの方はチャンネル登録は1900人。

ブログもアクセス数がいっときよりも

だいぶと伸びてきたので、(一般的に全然w)

AdSenseの審査も無事通り、

YouTubeからもブログからもなけなしの広告収益が入ってくるようになりました。笑

生徒さんも、昨年のこの時期時点でまだ5人近くしかいなかったのが

この1年で個人でお稽古をしている方は約20人前後まで増え、

グループなどを含めると50人近くの方のお稽古に携わり、

雅楽というめちゃめちゃニッチなジャンルの音楽で生きていく。

周りからはおそらく本当に無理だと思われていましたし、

先日法人勤務時代から仲良くしていた友人からも、

「お前がYouTubeをやりだすとか言った時は、そんなん絶対無理やと思った」

ということを後日談で聞かせていただきましたが、

「でもいつの間にか登録者が1000人までいってて、自分の夢を叶えていく姿に自分も頑張らないといけないと思った」

といってくれた時には、

こうやって仕事にしていくことを怠らずにやってよかったと思うばかりです。

「自分が変われば周りの環境も変わっていく」

最近は本当にこのことを痛感させられることも多かったりします。

教える人や出会う人たち、そういう人たちが自分が求めている

必要な人たちと関わることが本当に多くなってきましたし、

関わっている人のレベルがどんどん上がっていっていること
自分自身も驚いていますし

そういう新しい出会い・ご縁も大切にして、次へ次へと、

自分自身の使命である「雅楽って面白い!楽しい!を伝える」

実践していかなければと思うばかりです。

もちろんこれは一例であり、僕自身の環境が恵まれていた、

運が良かったから今も活動できていることは間違いないでしょう。

そして自分自身も現状に甘んじてはいません。まだまだこれからの分際です。

しかし、時代はだいぶと変革してきています。

今後は

「こんなこと絶対に仕事にできるわけがない!」と思えるものが、

どんどん自分自身の生きがいや使命に変わって仕事になっていく。

そう思える気がします。

よく家族や兄弟・知り合いからもいっていただくのですが

「山口さんって本当に雅楽が好きなんですね。」

と言われることがしばしばありますが、

僕はただただ雅楽を好きでやっていたかと言われるとそうでもなくて、

僕はただ単に幼い頃から「音楽」というものが得意であって好きだったので、

その中でたまたま自分自身が人よりもできた音楽が「雅楽」だったから

雅楽を仕事にして、

+、人と関わることが好きだから今はお稽古事を中心に、

YouTubeやブログなども活用して

「雅楽を通して、音楽の面白さ・楽しさを伝えていく」

これに今後もフォーカスして行きたいと思います。

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これから雅楽のようなニッチなジャンルにしても、

フリーランス・自分で事業を作っていく人たちの参考になったのであれば幸いです。

本日はここまで!

雅楽を知らない人向けの雅楽の演奏会、企画しております!詳しくは下記にて!

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