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2021.04.18これからの雅楽

神社や宗教等で多い「奉納」「奉仕」という言葉の乱用について



「雅楽って面白い!楽しい!」を伝える

こんにちは。雅楽演奏家・講師をしております。山口創一郎です。

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いつもご覧いただき誠にありがとうございます。

さて、今日のお題は雅楽とは少し離れますが、

神社や宗教などでありがちな「奉納」「奉仕」という言葉の乱用についてこのブログで話していきたいと思います。

「奉納」「奉仕」という言葉、みなさんも耳にしたことはあるでしょうか??

恐らく神社参拝がお好きな方であったり、家が宗教者です。て方であれば、

言葉は違うにせよ、この言葉について存じている方も多くおられるかと思います。

「奉納」「奉仕」

意味合いで言えば

奉納は「神仏に向けてお供えをする。」であったり、

奉仕は「社会や目上のもの、いわゆる組織のために私心を捨てて力を尽くすこと」

という意味合いなんですね。

しかし、現況の宗教団体であったり、会社においても、

特に縦社会と呼ばれる前時代的な観点の人の中には、

この「奉納」と「奉仕」を乱用することが多かったりするのが

現状として非常に多かったりするんですね。

僕は数年前、大学を卒業した後に宗教法人で勤務をしていた時期が

4年間ありましたが、

その中でもこの「奉仕」、その宗教では言葉は別の用語を使って、

組織としていいように乱用していたことを今でも覚えていますし、

ある意味、宗教法人などそういうところが現在「ブラック体質」

になってしまう一つの要因だと思うんですね。

これは宗教にのみならず、「雅楽」という音楽の中でも

時たまよくある問題かと思われます。

今日はそんな「奉納」「奉仕」という言葉がいかに乱用されているか??
事例を挙げながらご紹介をし、今後は雅楽の奉納演奏や奉仕、

そして宗教者として、そうではなくても神社参拝などで心がけたい「奉納」「奉仕」について僕なりに解説をしていきたいと思います。

 

1、「奉納」「奉仕」を乱用する事例って??


 

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まず初めに、一体どのような形でこの「奉納」と「奉仕」という言葉、

乱用されているのか??

その事例についてあげていきたいと思います。

先ほども言ったように僕は数年前、大学を卒業して宗教法人で4年間、

勤務をしていました。

というのも、高校・大学が宗教系の学校でして、7年間学校に通った際に、

宗教団体の財団から奨学金的なものをお借りして、

まあその宗教団体からは

「奨学金という言い方をすると違う!」

と多分言われますが、

ここでは「奨学金的なもの」とふわっと表現しておきます。

その7年間の学費の返還をしないといけないのですが、

その宗教法人で2年、奉仕という形で勤務をすれば学費が免除される

つまり返還できたことになるシステムがあったので、

それを使って、その後色々あったりして

何故か4年間も宗教法人で勤務をするという特殊な道を選んだんですね。

そのときの給料は、まあ、奉仕者という形で2年間は勤務していたのですが、

なんと、2万円!(3年目以降は普通より少なめの給与です)

2万円ですよ!普通に考えればこれで生活できるんですか??て思う人もいますが

厳密には、国民健康保険や年金・そして3食のご飯と住むところが保証されて

月2万円のお小遣いをもらって生活をするというスタイルだったんですね。

とはいえ、その頃って携帯料金がバカ高い時期でしたから、

人によっては半分は携帯代金で無くなる・・・という人もいました。笑

今は格安SIMを使えば月1500〜2000円まで抑えることができるので大丈夫でしょうが・・・

その中で勤務時間は一応規定では8時半〜16時半。

むしろ16時半で終われるの???パラダイスですね!

という方もいますがこれが週6日。

休みは日曜日と祝日だけという形。

まあこれならなんかまだやれそうだなーという方もいるでしょう。
(月2万円の時点でブラックだ!という人もいるでしょう)

ただこれは表面上の話で、

例えば、

宗教団体の祭典の日と前後に日曜祝日が当たれば、

謎に休みじゃなくなり、代休も取れないというシステムになっていたり・・・

日曜日に謎の奉仕活動に強制参加させられることだってあったりもします。
(これも代休は取れない)

要は休みの日を強制的に奉仕活動を強いられるという謎なことがあったりするんですね。

あと僕が1番苦手だったのは宿直

普段喋ることもない男3人で16時半〜翌日の7時半まで
職場にいるという地獄のような時間となり、

謎にパソコン使えない時間があったり飲酒禁止だったり、

これも14時間縛られて手当が1000円しかでないという見事なブラックっぷり。笑

うんともすんとも言わされない。

ただ僕が勤務していた部署はそれ以外はそこそこホワイトなところだったので、

残業などはなかったのですが
(というより、山口は「私、定時で帰ります」タイプの人間の為、普通に定時になった瞬間に退社していた)

知り合いの部署とかは、夜中12時までやっていたことも結構ありました・・・

それで残業代は??

ご想像の通り、奉仕の為でません。笑

とある同期が、その夜中12時まで残業していた部署で勤務していましたが、

2万円を時給換算して数えた結果、

「時給30円」くらいだったそうです。笑

もう数年前とはいえ、その頃最低賃金の1割にも満たない時給ですね。

そして社会人と言えば飲み会!

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サーバーで入れたビールは僕も好きですが・・・

もうねー、無駄な飲み会めちゃめちゃ多いんですねー。

飲み会だけならまだしも、

女性の方とかは謎のご招宴で

接待奉仕なんていかされている人も多くいました。

だいぶ気の毒でした・・・

勤務時間外に見知らぬ謎のおっちゃんらの接待に

付き合わされるというのは普通に考えればかなり大変でしょうね・・・

僕も一度機会があって、雅楽の講習の後に宮内庁の先生方を含めた

お偉いさん方のご招宴にどういうわけか参加して接待する光景を見ましたが、

非常に奇妙というか、

こう言ってしまうと失礼なんですが、

「感情がない接待をする女性たちが淡々と食事の準備や飲み物を注いでくださる姿」

に圧倒されたのを今でも覚えています。

今はコロナでそのような接待もそんなにないと思いますが、

宗教法人内というのは本当に「奉仕」

こういう言葉を乱用していることが多かったかと思います。

その宗教団体の「奉仕」というものは

本来は教えとして「神様に生かされていることを感謝して、自発的に好意に表すこと」奉仕のあり方で

あったりもするわけですが、

全てを無償の「義務の奉仕」でやらざるおえない
体質にはちょっと問題があるなと僕は感じていました。

他にも行事の「奉仕」などもあったり、

これ絶対こんなに人員いらんやーんとか、

気づけば「自分、来る必要あった??」なんてことも

まあ多かったことを覚えていますね。

家の事情などもあって、なんだかんだで4年続けましたが、

その間に雅楽練習できる時間も多く取れたり、

楽しくできたので今思えば色々教訓にはなったので良かったとは思いますが、

反面、4年間で宗教団体の「闇」の側面、

特にこの「奉仕」という
言葉の乱用を垣間見ることができたところもあり、

新たに宗教法人の組織に関する疑問というものも
大きく感じることができました。

そしてこれは「奉仕」という言葉の乱用の一例

次は「奉納」についていきましょう。

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先日とある神社の職員の方の龍笛のお稽古をつけさせていただきましたが、

その中で「奉納演奏」を取り違えている団体の一例がありました。

それはどういう話かというと、

そのとある団体から

「○月○日に、○○会として雅楽の奉納演奏をそちらの神社さんでさせていただきたいです。」

という連絡があったことから、その方が担当で話を進めていったそうなんですが、

どうも話を進めていくと

「○○会は規定といたしまして、1人○万円の人件費に加え、物品移動費や○○などを踏まえて見積もった上で、○○万円をお支払いいただきたく存じます。」

!!!!!!????

奉納??ですよね??

まあ、ご存知の方もいると思いますが、

奉納演奏というのは「神仏に演奏をお供えすること」

これが基本的な考え方・理念だと思うのですが、

奉納をしたらこれくらいお金かかるのでお金ください!

とハナからいうものというのはそれって「奉納演奏」なんでしょうか??

結局その話はその神社の職員さんがいうには、断ったそうですが、

結果的には奉納演奏の営業をしに来たような形だったみたいですが、

最初からお金目的できたという一例があったそうです。

もちろん神社側からお願いされることであるのであれば、
神社側も多少のお礼を用意することも考えるかと思いますが、

最初から「金額」を要求してしまうと、

「奉納」の筋が通らなかったりしますね。

とはいえ、一例にとある団体を出しましたが、

こういう団体、今でも多いので実は現状でも

当たり前だったりすることだったりします。

じゃあ何故このような「奉仕」「奉納」の乱用が起きてしまうのか?

次で話していきます。

 

2、なぜ乱用してしまうのか??


 

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上記では「奉仕」と「奉納」についてのこれはちょっと乱用しているなーという一例を出させていただきましたが、

じゃあ何故この「奉仕」と「奉納」というものがこれだけ乱用されることが多くなってしまったのか??

その理由としては、僕が思うには

「仕組み化しようとしてしまう」

からだと思うんですね。

「え!?でも仕組み作らないとわからないじゃん!」

もちろんそういう意見が来ることも承知の上でお書きしますが、

「奉仕」や「奉納」というものを仕組みによる数値化することって

僕は1番できないことだなと思っていまして、

「これくらいやるからこれくらいください」

という感覚で奉仕や奉納ってやっちゃいけないことだと思うんですね。

つまり、両者が「見返りを求めて実行する」ことをしようとしている時点で

それは奉仕や奉納ではなくなってしまうと僕は思っています。

「奉仕」であげた宗教法人では、

奉仕者側は見返りを求めたくても求められない側です。

その職員や信者でいる限り、休みの日でも奉仕が当たれば行かざるおえない。

謎の接待だろうがなんだろうが、

「奉仕(仕事)だからしゃあなしだろうが行かざるおえない」

やめたらいーじゃん!て思う人もいると思いますが、

ここには何かしらのバイアス的なものがかかっており、

親から言われてしゃあなしで奉仕する人もいれば
(宗教団体は親の言うことは絶対!という思想が強かったりします)

僕のように、奨学金返還で勤務して、
「ここで何年も勤務しないとその御恩は返せない。」

であったり、「あなたがいないと奉仕が回らない」

そういう言葉や見えないプレッシャーをかけられたり、洗脳されたりして

続けざるおえない人も多かったりします。

そんな低賃金で人を雇う中、組織としての裏にあるものって何かと言えば

宗教法人サイド、いわゆる経営者・運営者サイドの人間は

「法人に勤務している人たちを給与以外で無償奉仕で働かせたら、組織としてお金だす必要ないな。」

「この行事するために人これだけいるな。若いの駆り出せ!」

「組織のために忠誠させるようにしないとな」

とか、何かしらの見返りを求めてしまう仕組みが

自然と出来上がってしまっていることに問題があるんですね。

それこそ「ここで働かせてやってるんだから、これくらいやれ」

という傲慢なやり方というものを、

未だに運営者側サイドというのは持ってしまっていることにより、

本来の宗教者が求めるべきものである「幸福感」や「信仰心」

が薄れてきてしまう要因になっていると感じることがあります。

その仕組みがいつの時代になっても変化できず進めていることで、

組織の腐敗化が進み、

これまで以上に奉仕というものが惰性になっていくきっかけを

作る要因ともなっているように思えます。

「奉納」についても同じことが言えるでしょう。

神様に喜んでいただく演奏をするために演奏準備をしていき、

最終的にすごく意義ある演奏を行い、

多くの神社参拝に来られた方達に喜んでいただき、

そこで得た賽銭やお供えという形「応援したい団体」になることによって

神社側にも利益を提供したことで神社側から、

その団体に「お礼」という形でお金をいただける。

これを最初から奉納であれば、「これだけやるので、これだけください!」というものだったり、

奉仕する人に対して

「君らには、教団に助けられて今があるのだから、恩返しをしなさい。」

といつ終わりが見えない奉仕ばっかりを強要することを促すばかりであれば、

これは筋が通っていない。明らかに古い考え方だなと感じてしまいます。

 

3、乱用しないために心がけること


 

じゃあその中で「奉仕」「奉納」というものを

乱用しない為にはどうしていけばいいのか??

これは基本的なことですが、やはり

「両者が金銭的や何かしらの見返りを求めて活動することをやめること」

が非常に重要なのかなと思うんですね。

運営者側にしても、奉仕する側にしても、

ここを重きに置くことが非常に重要になってくる部分だと思っています。

7つの習慣という書物の中にも書いてありますが、

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「Win-Winを考える」

ここをどちらサイドも重きを置いて考えていくことというのが

重要だったりします。

例えば宗教法人でありがちだったのは、

「惰性でやっている会議や行事やイベントというのは、実はWin-Winになっていないことが多い」

がありがちです。

運営者サイドはWinになっていても、奉仕者サイドがloseになっていることはしばしばあります。

奉納演奏だってそうです。

奉納する団体がWinであれど、最終的には神社側がloseになるようなイベントであればそれでは本来の意味がなしえません。

特に「奉仕者」という立ち位置であれば縦社会が続く中で、

現況「lose」になっていることが多かったりするのは

組織の構造上そうなってしまうのは必至です。

ただ奉仕してもらう側からすれば、それでいいかもしれませんが、

結果的にはそれが「義務的」なものになり、

最終的にはその奉仕者が団体から抜ける要因になったり、

時代にそぐわない古い慣習による「若者離れ」が現在でもあちこちで起きています。

もちろん現在宗教法人や様々なところが少子高齢化で人手不足になっていることもありますが、理由はそれだけではなく、

「惰性の奉仕・奉納になってしまっている」

ことだって一つの原因ではないでしょうか??

本当に神様の為・信者の為になるようにできているのでしょうか??

本当にその団体・イベント・演奏などがそれに関わる人
の為になっているものなのか??


奉仕したい!奉納したい!て思えるものになっているのか??

要は、その活動、本当に関わる人がWin-Winにつながる活動なのか??

ここを本気で考えるからこその真の

「奉仕」「奉納」になっていくのではないか??と僕は考えています。

仕組み化してしまうとそれが「常識」となってしまい、

それがいつやら「義務」になっていく。

そういったものを数々と見てきました。

もちろん「義務」というのは大切なものなのかもしれません。

しかしなんでも「義務」にしてしまうと、本来人間が大事にする
「心遣い」というものがなくなることだってあるでしょう。

結局は、両者がWin-Winになれるような心遣いが

重要になってくるのではないでしょうか??

それこそが、真の「奉仕」「奉納」へとなってくるものだと感じています。

「奉仕」「奉納」=無償 という考え方も違えば、
最初から有償になるものでもありません。

その「奉仕」「奉納」した出来事に対して

お礼をしたくなるものにすることが重要で

お礼などをいただく心作りも必要だなと感じるんですね。

先日、私が主宰する「陽雅会」という団体で演奏会をしましたが、

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その時に初めて「後値決め決済」というものを導入させていただきました。


平たくいえば「お客様に最低1000円で演奏会後にお値段で評価していただく」

こういう形を初めてやってみたんですね。

そうすれば、最低1000円なので、

お客様の経済状況に即してお値段を決めていただけることもできますし、

お値段が少額でも、アンケートなどもありますので、

そこに言葉を通して意を表すことができる形にしましたが、

その言葉だけで僕らは大きな自信をいただくことができました。

よく、言葉一つのかけ方ですら「奉仕」になるとも言いますが、
それくらい「言葉」というもののパワーが計り知れないものだと伺えますね。

ここで重要なのは、「心遣い」というものはお金で数値化できないものです。
金銭的に厳しくても、それを言葉や文字などで表現することだってできます。

金銭的に余裕があれば、今後も応援したい人や団体に「寄付」をする感覚であってくれたらいいなと思って、こういう制度を決済方法に取り入れてみました。

その分、こちらはその収益で次回の新たな企画を打ち出せる要因になっていきます。

もちろん、演奏会となると諸費用はかかってしまうもので、最低1000円という形はとっていますが、それだけでは赤字になる中でも、

少しでも雅楽を知っていただき、面白い!楽しい!と思う機会になればと思うんですね。

僕個人としては陽雅会という団体はそういう団体でありたいと思っています。

要は、「金銭」が有償か無償かということではなく、
「心」があるかないかというところに
真の「奉仕」「奉納」というものが出てくるんだと思うんですね。

僕も神社などで雅楽の奉納演奏に行くこともしばしばありますが、

やはりそういう時こそ、金銭的なことではなく、

神様をはじめ、みてくださる人・一緒に演奏する方も含めて少しでも

喜んでもらえる演奏というものを

ご奉仕できたらと思う次第です。

そして「応援される・したいと思ってくださる方たち」

心次第でお礼やお金を「後値決め決済」という別の新しい方法で
寄付する形というものを
構築していきたいなと思うんですね。

とはいえ、これは奉納演奏や演奏会についてだけですが、笑

それでも雅楽をお仕事にしている中でも、「誰の為になるのか??」ということを意識して、これからもお稽古や演奏をしていきたいものです。

本日はここまで!

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