2021.01.25ブログ
雅楽ってなんでやっている人は宗教者(神道・天理教・仏教)が多いの??

- こんにちは。山口です。
そして今日のお題は、おそらくやっている人の中でも少し気になったことがあるでしょう!
雅楽ってなんでやっている人は宗教者が多いのか??
ここについてお話をしていきたいと思います。
というのも、僕もここ最近は、
初めての方に雅楽を教える機会というものが数年前に比べてどんどん増えていっている最近なんですが
その中で初めての人に大体最初に聞くことっていうのが
「雅楽のイメージってどういうものですか??」
という質問を聞くようにしております。
そんな方々が大抵の人が言うのは
「神社で流れている音楽」
そういったイメージが非常に強かったりするんですね。
それ以外にも、場合によってはお寺で使っている音楽でもあれば、
天理教の教会なんかで聞いたよと言う人もいたりするんですね。
+、今ですら大体雅楽の世界を牛耳っている年輩の方というのも
実は天理教や神社・お寺の方が多かったりするんですね。
かくいう山口もお気づきの方もいるかとは思いますが、
実家は天理教の教会だったりするんですね。
親は教会長やっていて、
僕も将来はどうやら天理教の教会長にならざるおえない立ち位置にいるみたいですが、
僕自身は将来的に宗教と雅楽・いわゆる仕事に関しては混在させたくない、
別のものとして捉えてやっていきたいんですね。
むしろ今もここをお稽古場所としては使っていますが、
特に生徒さんなんかには「神様の教えはー」とか
そういう宗教活動をするつもりもありませんし、
僕自身も自分の雅楽演奏家や講師としてやっていく中では、
天理教の信者としてやっていくつもりは断じてありません。
僕自身が信者なのかどうかという点につきましても、
皆さんのご想像にお任せしようかと思います。
ただ実家がそう言うところなだけで、後継者でも、信者ではない人もいたりしますからね。
どちらにせよ、一講師・演奏家としてやっていくことから宗教とは分離して活動を続けています。
え??宗教って怖い・・・危ないやつなんでしょ??
そういう印象を持っている方も少なからず多かったりしますので、
僕としてはそこには触れずにやっていこうと思います。
結構触れてしまいましたけどね。ははは
と、話が逸れてしまいましたが、本日はそんな、一応実家が天理教という立ち位置にいる私山口が、
雅楽やっている人は宗教者が多いのか??ここについて話していきたいと思います。
というわけで本日もゆっくり休憩しながら聞いていただけたらと思います。
それでは初めていきましょう!
1、祭儀や法事・冠婚葬祭で使うから

まず一つ目、まあ一番の大きな理由というのは間違いなくここであるからというのが一番なんですね。
仏教でも神道でも天理教でも、場所によっては黒住教や金光教なんかでもこの雅楽を祭儀で使うということは多いのではないでしょうか??
じゃあなんで雅楽が祭儀につかわれるのか??
ここがポイントになってくるんですね。
実は雅楽の始まりと宗教というのは、結構深い関係にあったりするのです。
雅楽という音楽が確立したのは、今からおよそ1400年前、
大体平安時代あたりに今の合奏体型になっていったと言われていますが、
その前というのは楽器と神楽と歌というのは、別々にあったんですね。
雅楽の起源となるのは雅楽の授業その1でもやりましたが、
古事記の時代にあった天野岩戸隠れという出来事から来ています。
天照大神(アマテラスオオミカミ)という、太陽神が弟のスサノヲの悪戯により岩の中に隠れてしまい、
その状況で周りの神様たちで祭事を企画した時に
天鈿女命(アマノウズメノミコト)という女性神が舞ったことが神楽という舞の始まりでした。
それが今神社でやっている神楽舞、巫女さんが舞っている舞とかは後にできますが、その起源となっているのがこの天の岩戸隠になるわけです。
そして楽器は朝鮮半島や中国大陸から伝来してきたんですが、
奈良時代に曽我氏と物部氏、日本史の一番最初の方ですね。
仏教を国に取り入れるか取り入れないか?これによって争い最終的には仏教を入れていくわけですが、
この時あたりに楽器も伝来したと推測できるわけです。
そして仏教には、極楽浄土の世界には美しい音楽が流れる。
そういう教えがあったりもすることから、
法要の際に雅楽が使われるようになっていくんですねー。
神道なんかでも最初は古事記にあった天の岩戸隠れのように、
神様の祭り事で舞い
神様に喜んでもらおう。
そういうものと作られた神楽が、雅楽へと枠組みに収まり、
その後8世紀ごろには「神仏習合」、
お寺と神社が混在する形の神宮寺と呼ばれる建物なんかも増えていき、明治時代に入って神仏分離されるまでは
ずーっと同じ枠組の中であったから、法要や祭典などで雅楽が演奏されるという状態になるんですね。
その後、神仏分離されていくことになっていくわけですが、国家として宮内庁式部職楽部を作り、宮中用の雅楽団体を結成したり、
神社内では神社庁という団体で雅楽の奉仕者を育成する活動を行ったり、
お寺でも大阪の四天王寺というところもまた宮内庁や他の団体とは違う
伝承の仕方をする上で、団体としてやっていくことにより
宗教団体の雅楽というものが強くなって来たわけです。
え??じゃあなぜ天理教は雅楽を入れているの??
こう思う人も多いと思います。

意外にこの天理教で雅楽が使われる理由、
天理教の信者の人でも知らない人結構多かったりするんですね。
てか天理教て神道じゃないの??という方もおられるでしょう。
神道でも仏教でもあった時期もあったんですね。
実は天理教の始まりは江戸時代の天保の改革とかが行われていた時代から始まるわけですが、
はじまった際は雅楽を祭儀には入れていませんでした。
教祖である中山みきさんという方自身も、
おつとめという儀礼をする上での楽器を入れたりはしてたものの、
雅楽は入れておらず、当時は天理教を始めるという文言自体も出さず、
ただただ神様の教えを説き、人間を救済する方法だけを説いていたんですね。
○○教を始めますと言っていない点というのは、一神教のキリスト教の始まりと近しいところがあるわけですが、
その中でも江戸から明治に入る中、
民衆の中で「一つの宗教団体にするために認可をもらおう!」
そういう流れがあり、一時は吉田神祇管領(ヨシダジンギカンリョウ)という
神道の一派に認可をもらったり、天輪王講社(テンリンオウコウシャ)という
名前で仏教の一派になった時代もあったりしたんですね。
その後、明治時代に教祖がお亡くなりになった後
(天理教では姿を隠されたとなっていますが)
明治29年に内務省秘密訓令という、
日本という国自体が「国家神道」を国の宗教にしていくという流れのもと、
天理教など様々な宗教に弾圧をかけていくことになるんですね。
その際に、宗教活動をやっていく中で色々制限をかけて行ったのです。
その時に、これまでなかった天理教の祭典の中に、
祭儀式というものができていくんですね。
おつとめというお祈りの祭儀の中で使われていた楽器も、
鼓が鞨鼓に変わったり、
太鼓やスリガネという楽器も、
当時は締め太鼓という和太鼓のような形したものであったり、
手で持つスリがねを使ってたものも、
雅楽の形に近い太鼓・すりがねに変わったり、絃楽器も入れ替えられるというくらいの制限でありました。

その中で、天理教では全く使っていなかった雅楽が祭儀式で使われるようになり、今でも祭儀式で使われているんです
実はこれが非常に面白いところなんですが、天理教の葬儀などを見たらその名残というものが残っているんですね。
神社では修祓(しゅばつ)というお祓いや、
玉串を祭典の時に用いることが通例となっていることから、
冠婚葬祭でも使うのですが
天理教は葬儀の時だけ神官の格好をしたり、

お祓いや玉串を普段はしないのに葬儀ではやるという非常に特殊な様式になっているんですね。

これは先ほどの、明治時代に国家神道の一派となった時の名残が非常に強く残っているのです。
こういう経緯の中で僕は、非常に合理的に考えた場合
「天理教には雅楽はいらなかったかもしれない」
という一つの結論として出すことができたりするんですね。
教祖から雅楽をせよ!という文言はないですし、
元はただただ国家神道に属するときに残った名残であった理由から、入れる必要はないなという見解ができるんですね。
もちろん、そうじゃない!という人もいますし、
それ以外に理由づけをすることだってできるでしょう。
神様に喜んでもらうための音楽を聴かせるんだ!であったり、
宗教上の目的ををする上でのプロセスとして、祭儀で演奏するんだ!
こういう結論で思うことだっていいとも思うんですね。
要は、自分たちがどうしたいのか??
そういう心の持ち方が重要になってくるんじゃないかと思うわけですね。
そしてそんな現代では、
神前結婚式なんかにも雅楽が使われるようになっているわけです。
厳かな場所で雅楽の演奏を聞いて式典を遂行していく、
そういう場所でやるとなると大方神社やお寺などになってくることから、
その神社やお寺の界隈などで雅楽の演奏者を回していく仕組みに自然となっていくことから、
宗教者が多いという形になっていくんですね。
2、サラリーマンや労働者に比べて時間がある
そしてもう一つ、未だになかなか宗教者で多い理由というところがここにあるんですね。
基本的に大きな雅楽団体なんかでメンバーが大半僧侶や神職や天理教が多い理由として挙げられるのは、
会社員や労働者に比べて時間に余裕があるからです。
もちろん、そういう働いている人の感覚というものがわからないというところが大きいこともあるでしょうが、やはり宗教者というのは、
ここは人にもよるところですが、
時間の余裕というものは一般で働いている人よりかは全然あるわけですね。
とある宗教法人などが主催している団体などでは、
大体練習時間や曜日など決まっていますが、
そういうところに会社員や公務員・働いている人がいくことは根本的に難しいご時世になってきています。
特に最近ではブラック企業なんかあったりもするように、
私、定時で帰れますという人の方が珍しいのではないでしょうか??
そのような状況になると、
その時間に集まれて団体として所属できる方というのは、
会として宗教者以外の無宗教層の方をメンバーに入れると表上書いていても、
大方宗教者などで埋まってしまうなんてことは普通だったりするわけです。
だって毎週火曜日に18時から練習やるってなったら、
17時退社じゃないとできませんもんねー。
これは非常に働いている人からすればかなりハードルが高くなってしまいます。
多分いけてフリーランスやっている人とか、
主婦とか収入が安定しないフリーターとか、
そういう人以外はほぼほぼ宗教者になってしまうことは仕方がないことでしょう
宗教者は夜とかは急な葬儀が入るとか以外は基本的に暇だったりするんですね。
日中とかは法事やお勤めなどあったりしますが、
大方信者さんは高齢の方が多いので、よる希望でやるという人も少なかったりしますよね。
そうなるとやはり、この固定の時間に練習などを行ったり理事会などをやるとなると、どうしても宗教者がほとんどになってしまったりするわけです
3、宗教者にとってのわずかな食い扶持であったから
そして三つ目に挙げられるのが、宗教者にとっては雅楽ができることによって
わずかな食い扶持になるから雅楽をやる人が多い、これは大きく挙げられます。
まあ結婚式とかになれば、大体土日に開催する人が今のご時世多いので、最悪は土日に休みの人とかが演奏にいくことが多いですが、
葬式となると、大体2日前、もっと急であれば1日前にきまることだってあるわけですね。
そんな時の演奏ができる人といえば!
はい!間違いなく宗教者なんですね。
働いている人は、急に休んで演奏に・・・とはまあいえないですよね。
でも宗教者なら、葬儀という理由で別に用事があったとしても、次の日に持ち越すことだってできるわけですから、すぐにいくことができるわけです。
そしてこれが大きな食い扶持にもなってくることもあります。
特に宗教者という方の年収というのは著しく低いんですね。
大きいところだったら1000万円以上あるところだってありますが、
大抵は300万円以下がほとんどです。
安永さんという方が書いた築地本願寺の経営学という本にもありましたが、
お寺でも約2〜3割は年収50万円以下のお寺もあるだろう
ということを本の中でも言っておりますが、葬式仏教と呼ばれている日本のお寺ですら、
それだけ経営状況が厳しかったりするわけです。
神社と天理教もそんな者だったり・・・
神社はまだ神職という資格で確立しているとはいえ、
小さい神社については経営が大変でしょうし、
天理教については二足のわらじ、
教会長をやりながらバイトや仕事をしている人の方が今ではもう
当たり前だったりするわけです。
そんな人らに朗報となるのが葬儀での雅楽の演奏になるわけです。
大体お寺や神社・天理教の中でも相場は全然違いますが
2日いけば3万円〜10万円、場所によっては100万円お礼で頂いたという方も聞いたことはあります。
数時間の演奏でそれだけもらえるのであれば、宗教者やって雅楽やりたい!と思う方もいるとは思いますが、
最近は残念ながら、葬式も身内で終わらせることも多く、
雅楽を入れて葬儀をするというところもだいぶと減ってきました。
多分多い人でも年に2、3回も今はなかったりするので、
+今はコロナで更に亡くなっていますので、今後この宗教者にとっての葬儀が食い扶持とうスタイルというのはオワコン化していくのは目に見えていることですね。
4、共通して古き狭い世界だから
まあ最終的に宗教と雅楽の中であるものといえば、間違いなくこれだと思うんですね。
両方とも、非常に狭い世界だからです。
狭い狭い、もう狭すぎて色々と恐怖症になるくらい、それくらい閉塞的だったりするのは大きな理由だったりします。
知っている人ら同士で集う面も含め、縛りが強く、噂話が好きな人が多かったりする両世界でもありますので、
こういう噂話の速さについては、SNSなんかよりも早すぎるだろうと突っ込みたくなるくらい、早かったりするんですが、
なんし、すごく時間の動きが緩やかすぎるところは両方とも同じで、
未だにSNSとか使わずに、電話や郵便とかで連絡を通知してくるところもあったりするんですね。
このスローテンポであるところというものが宗教をしていない人には合わなかったりすることは大きかったりするんですね。
まさにこの変化が目まぐるしくきている時代に別の結界を張り巡らせられているほどの、危機感というものがなかったりするのもびっくりするところですね。
僕も実際、そこはすごく思うところで。
僕はどっちかというと、あんまり興味のないことで
自分の時間を奪われることがすごく苦手な方なんですね。
だから宗教上の行事や集まりとかでダラダラされたりするのに
結構時間の無駄だなと感じることが多かったりするんですね。
とりあえず早く終わって他自由時間にしてくれたらいいのにー。
と思ってしまうタイプなので、
最近はそういうところには基本的に行かないようにしていたりします。
と話がそれましたが、ある意味形式上でしか動かない、
変化を求めることを嫌がる傾向がある上でも、
共通しているところがあるなとも思うわけですね。
そういった意味でも、
雅楽をやる人の多くは宗教者の方が多くなってしまうというのはこういう狭き遅き影響が大きいかもしれませんね。
とはいえ、これからはだいぶと変革していく時代になっていきます
今までは宗教者しかすることがなかった音楽ではありましたが、
日本は今無宗教化が進む中で、
向こう20年の同行で雅楽というものは大きく変化しないと生きていけない時代へと突入しているなと僕自身も感じております。
築地本願寺の経営学を書いた築地本願寺の宗務長されている安永さんも、
お寺も向こう20年で潰れるお寺がたくさん出てくる。
そのように書いているんですね。
これはお寺に限らず、神社や天理教・そのほかの宗教もそうなってくることは間違いないと僕も見ています。
そんな雅楽をこれからも宗教者が引っ張っていくのか??
いやはや、
そんなに宗教を押さずにやっていく人らで雅楽をするときがくるのか??
それを楽しみに、私は宗教者ではなく、一演奏者・講師として雅楽って面白い!
楽しいを伝えていく存在になっていきたいところです。
それでは本日のまとめです。
1、祭儀や法事・冠婚葬祭で使うから
2、サラリーマンや労働者に比べて時間に余裕があるから
3、宗教家にとってのわずかな食い扶持であったから
4、共通して狭い世界だから
というわけで本日もご視聴、ありがとうございました。
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