2020.12.10ブログ
【雅楽】葬式では何故盤渉調を吹くものなのか❓

こんにちは。山口です。
今日のお題は葬式では何故盤渉調を吹かないといけないのか❓というお題でお話をしていきたいとおもいます。
というのも、数ヶ月前にあげた一部の天理教と神社の雅楽はずさんなのか❓という動画をあげさえていただきましたが、少々炎上覚悟であげた題名だったため、
なぜか当チャンネルでは一番視聴回数が多いこんてんつとなっておりますが、
これにたいして、僕自身が
「盤渉調を吹かないんだったら出ないほうがいい」など、
辛辣な表現をさせていただいた中、
「一生懸命やっているんだからいいだろ‼︎」とか
「チャンネルとしてはいい内容出しているのに、ここだけはいただけない」
というような反応が多かったんですね。
もちろん、腹正しく思った方、
反証したい方が多かったことも承知して僕自身は動画をあげているわけですし、
そこは色々な考え方があることも理解した上で話しています。
最後まで見ていただいたら、
なんでそうなっているのかもわかるように話しているんですが、1の内容がどげつすぎて、
2の内容を見ずに意見を言われる方も多かったりします。
1の内容については、僕も正直これに関してはごめんなさい。「仕方がない」と思って伝えています。
「こういう意見もあるんだよ」ということをわかってもらう上で感情を入れて話しています。
結論、その動画の2でも話していきましたが、
「誰が悪いとかいうものではない」のです。
天理教として今まで祭儀として雅楽をやってきた義務的な側面、
特に葬儀というものは他のイベントよりも急遽でやることがほとんどなので、
人が集められない、予算的にうち内で集めて人件費をかかりすぎないように勤めていきたい。
その中で葬式のちゃんとした形式でやっていきたいなどの思惑があって、最終的にそうやっていった中で、
雅楽を演奏できる人がその場で「平調」しか吹けない人ということが多くなるわけです。
だって普段あんまり雅楽をやっていなくて、2日前に吹いてと言われて、
やったこともないのに盤渉吹け‼︎て言われたら頭パニックになりますよね。
お稽古をしている身である僕らですら、
昨年とかは外で歩きながらの演奏で、
3日前に龍笛で出演する予定が笙に変わった時はパニックになりました。外で歩きながらなので譜面見れませんしね・・・
そしてその方々はましてや雅楽を仕事にしていないのはもちろんのこと、
趣味ですらやっていないひとがほとんどです。
普段は雅楽を吹かない人がほとんどで、
祭儀になったら人がいないから仕方なく吹く方がほとんどでしょう。
要は「別に好きでやらず、やらされてやっている」わけですよね。
「俺は好きだぞ‼︎」て人も1、2割くらいは多分おられるとおもいますが、大半はそうじゃなく、
教会や神社で必要だからやらないといけないという義務やなんとなしにやっている方がほとんどでしょう。
それなら天理教で葬儀の雅楽用のチームを作っちゃえばいいんじゃないの❓
と僕も考えたことはありますが、んー、正直かなり難しい‼︎
できたら雅楽はそのチーム内に任せたらいいんですが、多分かなり嫌がる人、教会関係の人は一番反対するんじゃないかなーとおもいます。
+雅楽団体とかが絡んだらもう最悪です・・・
それをどこが受けるかで揉める光景が目に見えます。
そんな中、そもそも葬儀は何故盤渉調なのか❓
雅楽をあまりやっていない人、やっている人でもただ通例でやっているだけで意味を理解していない人もおられるのかなとおもいましたので
じゃあ今日はその葬式では何故これまで盤渉調と決まっているのか❓
これについて話していきたいなとおもいます。
1、盤渉調ってどんな調子❓
まず、盤渉調ってどんな調子なのか❓
これについて話していきたいとおもいます。
まず雅楽には六調子あるのですが、
壱越調、平調、双調、黄鐘調、盤渉調、太食調
という六調子があるんですね。西洋で言うハ単調とかト長調とかのようなものが雅楽でもあると思っていただければと思うわけです。
その中で、4つの曲目については、実は四季を表した調子になっているのです。
春は双調、夏は黄鐘調、秋は平調、そして冬が盤渉調
の曲目なわけです。
春や夏、秋に関してはまだ明るいイメージが強いですよね。
春は青春や花見、新しい出会い 夏は真夏の暑さに海、祭り、恋愛
秋は紅葉や観月祭、最近ではハロウィンなどもあったりしますね。
その中で、一番暗そうといえばやはり「冬」だったりするわけです。
「悲しみ」や「失恋」、「死別」「切なさ」
そう言う表現の現代の曲も大方冬が多かったりするんですよね。
この盤渉調の曲も全体的には暗く作曲されているのが特徴的な調子であったりするんですね。
どんな曲目があるのかいえば、
まずは越殿楽
これは平調とは違う越殿楽なので、ちょっと曲調も暗めですね。
あとは青海波。源氏物語の紅葉賀の巻で劇中にまう舞楽ですね。

舞は豪華な装束ですが、曲調は実は暗かったりするんですよね。
これも実は盤渉調の曲目なんですね。
他には蘇莫者という山の神及び、猿の面をつけて舞う舞の曲などもこの盤渉調に属しています。

特に採葬老という舞楽が盤渉調にありますが、なんとも縁起の悪い、見た目もおじいちゃんのような面をつけて舞う舞楽がありますが、

一説によると、この舞楽を舞った人は死ぬという逸話があります。
とはいえ、実は僕の知っている人では、一人だけこの舞楽を舞ってまだ生きておられる方はいます、
それ以外で舞った方というのは、今のところ全員お亡くなりになられている奇妙な舞だったりするんですね。
ちなみに山口のコンサートホールでの舞楽の音頭をデビューした曲はこの舞楽でした。
と話を戻しますが、
2、なんで平調では葬儀に向かないのか❓
これに入ったいきたいわけですね。
平調というのは季節でいえば「秋」になるわけですが、
もう一つあるのが「祝事」として用いられる曲目が多いことがひとつ挙げられます。
まずは奉祝、昨年あった天皇即位関係の時に演奏される舞楽の中に「萬歳楽」という演目がありますが、これは平調の曲なんですね。
それ以外にも結婚式で用いられることが多い調子であるのが平調なわけです。
お祝事に向いている明るめの曲が平調には多く、やはり雰囲気が明るく出るように曲自体も作曲されていることから、結婚式や奉祝の際にはぴったりの調子でもあったりします。
ただ、葬儀となるとこれは別物になってしまうわけです。
参列されている方からすれば、あんまりよくわかっていないから大丈夫だろうという認識を持っている方が多いのですが、
その場にわかる人間がきたときは、
違和感満載になってしまうんですね。
僕が初めて葬儀に参列した時も実は平調を演奏されていましたが、わかるからこその違和感を覚えたことも多かったりするわけですね。
そういった意味でも、
平調を吹けないことを馬鹿にしている‼︎という意見を
いただいたりしますが、
わかる人がいるかもしれない現場で、
葬式で平調を演奏している時点で、雅楽という音楽を馬鹿にしている。
こういう見解だってできるのではないかと思うんですね。
もちろん、それを両方の視点から、本質的に見た背景には演奏できる人がいないであったり、
ただただ形式でやらないといけないだけとしか思っていない人らがやっていることなので、
これに関してはどうすればいいかというのは人次第ということはありますが、
ただ本当に音楽的にわかる人が参列した時は、やはりここでの違和感というのは大きかったりします。
雅楽のピッチで現代曲をピアノなんかと一緒に演奏する気持ち悪さと同じくらいの感覚に追いやられてしまうくらいです。
「え❓今悲しむ場だよね❓なんでこんな明るい曲が流れているの❓」
音楽的感性を持っている人や雅楽を知っている方であればこう捉える人も少なくはないでしょう。
結婚式の曲が葬式で流れているわけですから、
普通に考えたら冒涜と言われてもおかしくないくらいのことなんですよね。
んじゃあこれをいったら、
もう葬式は盤渉調で決まりだね‼︎て思う方も多いかとおもいますが、
僕としては最近はその考え方自体に疑問を持ったこともあるんですね。
そこで3に写っていきたいとおもいます。
3、逆説的に平調でもいいのでは❓と思える理由
ここまで話してきて山口は何を言い出すんだ‼︎
お前のいっていることはめちゃくちゃだ‼︎と思う方もいるでしょう。
ですが、ここ最近こういう考え方もありだなーと思ったので最後にこういう話をしていきたいと思います。
まずそもそも、葬式というのは悲しむためにやるものなのか❓ここを問いて行きたいと思うんですね。
というのも、「芸術は爆発だ‼︎」で有名な岡本太郎さんの本に、「自分の中に毒をもて」という書籍があります。

実は岡本太郎さんは、死ぬ前に残した言葉の中に、
「自分の葬式はするな‼︎」
といい、その理由を言葉に残しているんですね。
「「死」というものは悲しむものではない。むしろ祭り事だ‼︎」
と。
おーすげえ言葉だなーと僕は思ってしまったわけなんですけど
葬式というと、どうしても人が亡くなったら悲しむことの方が多かったりします。というより、
これを常識に考えている方の方が少なからず多いのではないでしょうか❓
が、自分がもし死ぬとなった時、皆さんは悲しんで欲しいですか❓
僕は実は、全く思わない派なんですよね。
むしろ残った方々には、葬式の日もその後も、笑って過ごしていてほしいと思うんですね。
自分が亡くなって、周りからありがとうや、あなたがいたから、
これからも頑張れますとかのそういう感謝の言葉を言われながらも、
次の自分らの人生に向き合っていってもらえるようになりたいなと思うんですね。
そういった意味で、死自体が悲しみの出来事ではなく、
祭り事のようにとらえる見解であるのであれば、
盤渉調ではなく平調を演奏することも、一つの選択肢になるのではないか❓
最近はそう思ったりするんですね。
もちろん、これについては亡くなった方のご意向であったり、遺族の方々や、喪主としておられる方のご意向が一番尊重するべきだとは思うのですが、
今後は葬儀にもそのような選択ができてもいいのではないか❓
こう思ったりもするわけです。
だって悲しんでほしくないのに悲しむイベントをされたら、お亡くなりになった方からすれば本末転倒だったりもするわけですよね。
葬儀自体が悲しみを持つ場所ではないという見解にするのか、
悲しみを持つ場所にするのだとこれまで通りやる、多様化というものがあっていいんじゃないかと思うんですね。
もちろん、これについては賛否両論があることは確かでしょう。
しかし、僕は自分の葬式をやるのであれば、皆さんに喜んでもらえる、笑顔でいてもらえるものであってほしいことから、平調を演奏してもらいたいなと最近では思えるようになりました。
とはいえ、僕も葬儀はそんなしてほしくない派なので、もしもの話で言っています。
僕は今のご時世ですから、もう普通に葬儀とかはなしで、別にあつまらなくていいから知っている人がオンラインとかで、平調の曲目を合奏した動画を天国から見るくらいがいいなーと思ったりするんですね。
まあ多分その時には考え方が変わっているんで分かりませんが・・・
という個人的な見解では、お亡くなりになった方や喪主さん、遺族の方々のご意向によって盤渉じゃなくてもいいのでは❓という一つの可能性を今日は上げ、
最終結論としては悲しみを出す葬儀であるのであれば盤渉調が適切で、
残った人には笑っていてほしいという考えであれば平調を演奏する、こういう形が一番いいのではと思うわけです。
というわけで本日もご視聴いただき、ありがとうございました。
山口創一郎の雅楽チャンネルでは、このように雅楽に関わったお話などを初心者向けを中心に話しています。
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それでは本日はここまで‼︎ ご静聴、ありがとうございました。