ブログblog

2019.08.17ブログ

演奏家としての道



おはようございます。

雅楽演奏家の山口創一郎です。

このページを見たあなた、多分こう思われている方もいるかと思います。

『お前、本当に雅楽演奏家なのか??』

おそらく思われている方はたくさんおられるかと思います。

雅楽の演奏家は資格がありません。逆を言えば下手くそだろうがなんであろうが雅楽演奏家と名乗っちゃえばそうなっちゃう世界なのは確かです。

そんな山口創一郎という人間は本当に雅楽演奏家なのか??本日はそんな僕自身の雅楽の道をこちらで紹介したいと思います。

目次

始まりは小学四年生

僕の雅楽の始まりは、小学四年生の頃、僕の実家は天理教の教会なんですが父親が教会長の職をつく祭典にて、兄弟で雅楽を奉納したいという親の思いから雅楽を始めます。
当時は天理教の音楽研究会雅楽部というところが主催する週例雅楽勉強会(毎週土曜日)に大阪から1時間半かけて奈良の天理まで毎週習いに行き、講師は天理大学雅楽部OBを中心とした方々に1時間半、雅楽を習いました。

ただその時は雅楽のがの字も知らない僕は楽器もどんなものか何もわからずに、篳篥の名前がかっこよかったという理由で、篳篥をはじめることにしました。(後日、篳篥を見た時に、勝手なイメージで笙だと思い込んでた僕は発狂しました。笑)

そんな奉納演奏も無事に終わり、地元の小学校でのワークショップや中学校の音楽の楽器テストなども篳篥を吹くくらい、自分には雅楽しかないなとその頃から思っていました。

中学三年生の頃には、鳳笙もその勉強会で習わせていただきました。

中学時代は学力なさすぎで雅楽で受験!?

中学の頃の僕は非常に頭が悪く、親からもどこの高校も行くことができないといわれつづけました。笑

そんな中、姉貴2人が僕の前に当時あった天理高校三類に雅楽があり、そこへ入学したことから、親に天理高校で雅楽をしたいと伝え、受験しました。

現在は雅楽は存在しませんが、天理高校三類というのは、週5時間授業に部活動が入る部活動の特待生のようなもので、野球やラグビー、吹奏楽など、名門天理高校の部活で中心に活躍するメンバーが多く受験するコースです。そんなところに雅楽があったことから、篳篥で受験し、見事合格し、地元大阪を離れ寮生活に突入するわけです。

本格的に始めたのは高校

高校では週に5時間、天理大学雅楽部の上級生の方とマンツーマンで篳篥の稽古がありました。

その頃は高校生。まだまだ体もできあがってなくて大学生の音に圧巻され続けました。

それでも負けじと練習に励んだこともありました。そんな中雅楽が本当に好きになったのはこの時かなーと今でも思います。

自主練はもちろんのこと、三年間の学生生活を思い出すと雅楽以外覚えてないくらい、没頭してたんだなと今でも思います。笑

大学では雅楽を離れ

ただ、篳篥を続けるには致命的な弱点が僕にはありました。

それは…手先が不器用すぎてリードを作れない。

これに悩んだ挙句、大学からは持ち管を龍笛に変更しました。

その後、色々と訳があって天理大学雅楽部にも入部しましたが、夏で退部し、3年間は雅楽から離れます。
ただ今思えば、この3年間を雅楽から離れたことで、今こうして演奏家として活動しているんだなといつも思います。そのような話は後日。

まさかの大学4回生から部活へ…

三回生が終わる途中、ある会活動を終えた僕は、残り4回生をどう過ごすか考えていました。

その中で、天理大学雅楽部にいた某教授の先生が卒論担当だったことで雅楽を続けたいと相談したこともあったり、同級生が4回生になると1人しか部活に残らないということを聞き、部の人数もかなり少ないと聞いていたことから、雅楽に戻るんだったらここだなと思った矢先、4回生で部活に復帰することを決意しました。

楽器はもちろん龍笛で、打物もいないということで復帰した頃は本当に毎日夜遅くまで練習に励んだことを今でも覚えています。

僕は大阪から大学に通ってましたが、家に帰らず部室に寝泊まりして自主練をしました。

4回生から部活に戻り、一年間は管絃舞楽の鞨鼓と謡物の句頭を何故かさせていただきました。

卒業後

卒業後は天理大学雅楽部のOBとはいえ、1年しか部活に携わらず、龍笛の技術もまだまだだったことから、天理で働きながら、朝に天理大学雅楽部の顧問の先生宅へ練習に行きました。

そこに来られていたOBさんにご指導いただき、仕事の昼休みや勤務後に自主練にも励んで、四年間年に数回宮内庁の先生にも指導して頂いたり、講習会の講師や演奏会にも数件出演するなど、数々の経験を天理でいただきました。

大阪に帰り、本格的に開始!

そのあと地元大阪へ帰り、1年たった後にある方との出会いがありました。
それは同じ天理高校出身で雅楽でメシを食っている方でした。

その方と関わっていくうちに、自分にもそういう道しかないんだなと思うようになっていきます。
それまでは天理の雅楽しか知らなかった僕でして、今では神道や黒住の方など、さまざまな宗派の雅楽演奏家の方と演奏する機会もいただくようになりました。

そして神社やさまざまな会での演奏も頂くことが多くなりました。

現在ではそのお方の演奏以外にも、奈良の方での演奏依頼も沢山いただくようになりました。

天理にいた頃や大阪帰った頃というのは、雅楽の演奏や講師などは月に数回ある程度のものでしたが、今では月の半分以上演奏や指導などに出向かせていただいております。

それくらい、今の僕には雅楽の演奏家として活動するのは天職だと思わせていただいております。

だからといって満足しているわけではありません。まだまだ自分ができる雅楽を追求して、雅楽の良さを次世代や沢山の方に伝えていける、更に雅楽でメシを食える人間になっていきたいと思い、今日もこれから演奏へ出向かせていただきます。

長々となりましたが、読んでいただきありがとうございます。

SHARE
シェアする